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2840. クリシュナムルティの教育思想:脳の包括的な活用と自己との一体感


早朝にテレマンとショパンに範を求めて作曲実践を行った後、“J. Krishnamurti: Education and the Significance of Life (1953)”の初読を開始した。本書はクリシュナムルティが自らの教育思想を語っているものである。

一言で述べれば、本書には随所に洞察に溢れる教育思想が散りばめられている。それら一つ一つに対してしばしば考え込んでしまうことがあった。

教育哲学への関心は増す一方であるが、同時にそれを学術機関の中で探究することには少々ためらいがある。学術機関の閉鎖性とそこでは語られることの許されないものが不可避に存在していることが、そのようなためらいを私にもたらす。

いずれにせよ、教育哲学について自ら探究を行い続けていくことは確かだろう。それほどまでにこのテーマは私にとって重要さを持っている。

クリシュナムルティの書籍を読みながら、改めて考えさせられたのは教育の話題を超えて、自己の成熟は年齢によってもたらされるのではなく、自己理解によってもたらされるという点である。自己を理解することがいかに難しく、そして自己理解の涵養に向けた実践を継続させていくことがいかに大切か。何となれば人は自己理解を深めていくことに怠惰なのだから。

これから昼食を摂り、再び読書に取り掛かった後に仮眠を取り、その後に作曲実践に従事しようと思う。作曲をしている最中、そして作った曲を聴きながらデッサンをしていて思うのは、それらの実践が脳の様々な部位を刺激しているということだ。

言い換えれば、それは日常なかなか活性化されない部位を強く刺激している。実際に曲を作ること、そして絵を描くことは、それこそ学術的な専門書を読んだり、論文を書いたりするときとは異った脳の部位を刺激している。

クリシュナムルティの教育観の中では、自らの存在が持つ包括性を養っていくことの大切さが強調されている。精神的な次元ではなく、まずもって身体的な次元においても、脳を包括的に育んでいくことは大切なように思われる。

現代社会で単に生きているだけではいかに脳の活用部位に偏りがあることか。それを思うと、まずもって身体的な次元において芸術活動に従事することの有益さを実感する。

その次に、作曲やデッサンの実践においていつも感じている独特の多幸感について考えていた。やはりこれも脳の活性化と切っても切れない話だろう。

創造的な活動に従事することによって、創造性を司る脳の部位が活性化され、それは思考や感情を司る脳の部位も活性化する。脳全体が活性化されることに伴い、無上の充実感を感じ、どこか自分が自分と完全なまでに一体となっていると感じることがよくある。

まさに自己との完全な一体感は、脳の包括的な活用と密接に関わっており、この一体感は人生の充実さを生み出していく。そのようなことを改めて考えていた。フローニンゲン:2018/7/14(土)12:19

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