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2833. あるゲームの終わりに向けて


今日は一日の活動を開始してから二時間半以上にわたって日記を書き続けている。今もまた何かを書き留めておこうとしている。

二時間半ほど日記を書き続けていると、それによって一日の活動に向けて精神が完全に目覚めつつあることに気づく。日記を執筆するというのは一日の活動を開始する上で本当に欠かせないものである。

確かに今日は早朝に日記を書き留めておく分量はいつもより多いが、正直なところ全くもってまだ書き足りないように感じている。内側から外側に出てくるものにひたすら言葉を与え続けていくこと。

自己組織化の流れを遮断せず、むしろそれを促進するために言葉を与え続けていくことが重要であるという認識は以前から持っているものであり、特に今朝はその考えを大切にしている。

バッハの前奏曲13番の始まりの音とコーヒーの抽出が完了した音が同時に鳴り、ハッとした。すると、先ほどまで書こうとしていたことがどこかに消え去り、新たな主題が立ち現れた。

先ほど、四つの活動だけに従事していく生活をこれから送っていくことについて書き留めていたように思う。いかんせんそれら四つの活動は収入を生むものではなく、また私はそれらから収入を得ることを一切望んでいないため、別の手段で収入を得ていく必要がある。

そこで重要になってくるのが投資であった。これまでの人生を振り返ってみると、自己教育については確かに積極的に投資を行っていたように思う。その時の私は決してそれを投資だとは思っていなかったのだが、今振り返ってみると、結果としてそれは教育への投資だったと捉えることができるだろう。

社会人になってから三つほどの修士号を欧米の大学院で取得したことは、振り返ってみると大きな投資だったように思う。おそらく現代社会の多くの人にとって、「投資」という日本語が醸し出すイメージと感覚はあまり肯定的なものではないかもしれないが、振り返ってみると、欧米の大学院で学びを得たことは本当に大きな意義を持つものであったと思う。

投資がもたらす人生の意義。投資には意義をもたらし得る力があるらしい。もちろん全ての投資がそうだとは言えない。

だが、本質的な投資、もしくは投資の本質は意義を私たちにもたらすものなのではないか、もしくはそれをもたらすべきものなのではないかと思う。ここ最近、日記、作曲、デッサン、読書だけではなく、昼食後の一時間ほどを投資の学習に時間を充てている。ここでいう投資というのは、教育への投資ではなく、一般的な意味での金融投資である。

思い返してみると、大学の学部生の頃に金融投資については熱心に勉強をしていた。株式・債券から始まり、不動産投資についても勉強をしていたことを懐かしく思う。

当時は学生であったから、そうした投資を行う元本はほとんどなく、また実際に投資をしてみるというよりも、それを学術的に学ぶことの方が楽しかった。当時に財務会計・管理会計、そして金融工学をはじめとした金融理論の基礎をしっかりと学んでいたことが、今思わぬ形で自分の人生を支え始めてくれている。

そうした様子を見るにつけ、学部時代の教育に感謝をする必要があるだろう。今は再び熱心に投資の勉強をしているが、それには一つの狙いがある。

自分で投資をし続けるという馬鹿げたことを早々に切り上げるために、今投資の学習を熱心に進めている。言い換えると、この現代社会におけるある一つの馬鹿げたゲームから脱却するために、一度そのゲームと真剣に付き合い、そこから脱却をしようと企てている。ひとたびそのゲームから抜け出せば、その後は上述した日記、作曲、デッサン、読書だけを行う生活に入る。

窓際にやってきた小鳥や通りの街路樹と異なり、人間として生きていく上でこうした計画を立てなければならないのは面倒だが、それは人間としてこの現代社会で生きていく上で仕方のないことだと受け入れる必要があるだろう。本当は小鳥が歌うように、街路樹が風に揺られるように、日記、作曲、デッサン、読書だけをしていたいのだが。フローニンゲン:2018/7/13(金)09:07

No.1130: Autumnal Tints

It is 10:30AM on Saturday. Today is sunny, and leaves of street trees are trembling gently by the wind.

I couldn’t help saying to myself, “Oh, leaves started to turn red.” Groningen, 10:35, Saturday, 8/18/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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