先ほど午後の仮眠を取り終え、これから再び午後の活動に取り掛かろうと思う。それにしても先ほどの仮眠は随分と深い眠りの意識に入っていたものである。
わずか20分の仮眠だったのだが、自己がコーザルの意識に完全に参入していたように思う。目覚めてみて大きな回復感を覚えたのは、やはりコーザル意識という層が治癒的な働きを司るものだからかもしれない。先ほどの深い仮眠のおかげで夕方からの活動がはかどりそうだ。
今日は早朝から創造活動に十分に従事した。早朝はやはり創造活動に時間を充てる必要がある。くれぐれもインターネットで何かを調べるような形で早朝の時間を浪費してはならない。
早朝に一曲ほどバッハのコラールを参考にして短い曲を作った。夕方にも一曲、あるいは二曲続けてバッハのコラールを参考にしてもいいかもしれない。夜にはテレマンを参考にして曲を作ることができればと思う。
そうすれば今日は四曲ほど作ったことになる。
呼吸をするように、日記を執筆するように作曲を自分の存在実践としていく。その着実な一歩を今日も歩んでいるという実感がある。この実感を毎日感じられることが日々の足取りを確かなものにしてくれる。
午前中にマラルメの詩集を少し読んだ。マラルメの詩の世界とドビュッシーの音楽の世界には親和性があるという記述が印象に残っている。それを確かめるかのように、私はマラルメの詩集を音読していた。
もちろん、詩の細部を含めて全てが理解できることはほとんどないのだが、音読によってマラルメが詩の中に吹き込んだものを感じることができつつある。それは喜ばしいことである。
本書の冒頭の解説文に、「マラルメの詩からリズムを奪うことは、マラルメの詩から「詩」を奪うことにほからない」という文言があった。これを読んだ時、思わず唸ってしまったが、まさにその通りだと思う。
この文言を読んで以降、なおさらマラルメの詩のリズムを捕まえるごとく音読に精を出した。今日も夕食の前後に時間があれば、再度マラルメの詩集を読みたいと思う。
時刻は午後の六時を迎えた。早朝に予定していた通り、“Intervals, Scales, Tones: And the Concert Pitch c = 128 Hz (2015)”を午前と夕方に随分と読み進めることができた。夕食後に再度本書を読むつもりであり、今日中に初読が完了するだろう。
本書を読みながら、改めてシュタイナーの音楽理論に対する関心が湧いてきた。もちろん、音楽理論や作曲理論に精通していることが作曲の技術を担保しないのだが、それらに精通することによって作曲で表現できることの幅と深さを広げていきたいという考えがある。
最優先されるべきは作曲の実践であって、作曲の勉強では決してないのだが、それでも全く勉強しないというのでは問題だ。
シュタイナーの音楽理論、そして本書で記載されている事柄を学んでいくことは、超越的な感覚世界を曲として表現する上で非常に大切な洞察をもたらしてくれるだろう。そうした知識こそがまさに叡智と呼ぶものにふさわしいのではないかと思う。
夕食後はまず本書を最後まで読み通し、その後に作曲実践を行う。明日以降も少しずつ音楽理論や作曲理論の学習を進めていく。フローニンゲン:2018/7/8(日)18:26
No.1125: Shopping of a Jocular Clown
Today is a day when a jocular clown is likely to go shopping.
I have such a feeling now. Groningen, 09:45, Wednesday, 8/15/2018