早朝の曇り空が嘘のように今は晴れ間が広がっている。つい先ほど散髪を終えて自宅に戻ってきた。
今日もフローニンゲンの街には初夏の爽快な風が吹いている。その風に乗って未知なる場所に行くのも悪くないように思えてくる。
今日はいつものようにメルヴィンに髪を切ってもらった。毎回メルヴィンとの対話から得るものが多く、今日も静かな気づきを幾つか得ていた。
席に着席し、髪を切ってもらう前に開口一番、フローニンゲン大学での二年目のプログラムが無事に終了したことをメルヴィンに告げた。メルヴィンも大変喜んでくれ、祝福の言葉をもらった。
「プログラム終了後は何をするのか?」という問いに対して私の口から出てきた言葉は、「少しばかり休暇を取る」というものだった。それに対してメルヴィンは「休暇の後はどうするのか?」とさらに問いを重ねてきた。
そこで私が思わず述べたのは、「音楽を作って詩を読む」というものだった。意図せずに純粋に出てきたその回答が欧州での三年目の生活のあり方を物語っているように思う。
作曲実践と詩集をゆっくりと読み進めていくこと。欧州での三年目の生活は本当にそれらの実践が核となるだろう。
その後、メルヴィンとの会話は夏期休暇に関するものとなった。実質上、私は一昨日から夏期休暇に入り、それは夏期休暇の始まりであるのと同時に、一年間の休暇かつ一年間の本格的な創造活動の始まりでもあった。
メルヴィンはこの夏は忙しいらしく休みが取れないそうだ。しかし九月にマジョルカ島に行くらしい。
フローニンゲンからどのような経路で行くのかを尋ねてみたところ、フローニンゲン空港から直行便が出ているとのことである。そういえば先日ロンドンへ行く際に、フローニンゲン空港のロビーの掲示板にマジョルカ行きのフライトがあることを知ったのを思い出した。
メルヴィン曰く、マジョルカ島までは二時間半ほどのフライトであり、往復60ユーロ(約8千円)で行けるらしい。スペインのマジョルカ島がそんなにも身近なところにあるなんて知らなかった。
そこからは、ポルトガルの首都リスボンにメルヴィンが以前訪れた時の話となった。メルヴィン曰く、リスボンはアムステルダムと比べてより時間の流れが緩やかだそうだ。
正直なところ、東京やニューヨークで生活をしたことのある私にとってみれば、アムステルダムの時間の流れですらゆっくりと感じるのだが、リスボンの時間の流れはそれ以上に緩やかだそうだ。ポルトガル語圏やスペイン語圏にはこれまで縁がなかったのだが、近々ポルトガルやスペインに訪れてみたいという気持ちが少し湧いてきた。
メルヴィンは十月から新しく自分の店を持つらしい。以前にもその話を伺っていたが、すっかりそれを忘れていた。
聞くところによると、場所は今の店から遠くなく、より街の中心部に近い場所に店を構えるそうだ。店が開店したらまたメルヴィンに髪を切ってもらうことを約束した。
ちょうど私の前にメルヴィンに髪を切ってもらっていたのは、フローニンゲン大学のコミュニケーション専門の教授らしく、自己表現と脳の関係について研究をしている人物だそうだ。私が冒頭に詩を読むことに関心を持ち始めたことを伝えると、メルヴィンから面白いフィードバックを得た。
そのフィードバックには考えさせられることが随分とあった。やはり私は、科学的な言語で自己を表現していくことをここで一旦離れ、そこで用いられる脳の部位とは真逆の部位を用いる作曲や詩を読むことに向かっているという対極的な動きをここに見ることができる。
詩集を読むことのみならず、詩を実際に創作するかもしれない予感がここ最近少しずつ芽生えていたところに、メルヴィンからもそれを後押しするような言葉掛けがあった。メルヴィンは長い間ダンスに打ち込んでおり、歌を歌うことも好んでいるらしい。そうしたこともあり、自己表現に関しては一家言あり、それをもとに対話をするのはいつも大きな気づきを私にもたらす。
「人は失敗を恐れるが、失敗というのは結局のところ、自己が認識することのできる半分の情報をもとにした判断でしかなく、残り半分の情報からみればそれは失敗ではない。また、認識できる僅か半分の情報によって判断された失敗というものが、結局のところ自己を押し広げていく」というメルヴィンの言葉には同意するものがある。
絶え間なく自己を表現し、失敗らしきものを積み重ねていくことが自己の認識世界を拡張させ、それをより豊かなものにしていく。そんなことを考えていた。フローニンゲン:2018/7/6(金)14:16