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2778. 主体客体作用を持つ日記の執筆


夕食を摂り終え、今から一日を終えていくための実践に従事したい。時刻は午後の七時半を迎えようとしており、依然として太陽が燦然と輝いている。

今日は気温が高く、最高気温は27度を記録していた。明日からは一週間ほど20度前半の涼しい気温となる。

夕食を摂る前に日記の意義について再び考えを巡らせていた。改めて、日記を執筆することが最善の学びを生み出し、自己を深めていく最善の手段であるということを実感する。

依然私がマサチューセッツ州のレクティカに在籍していた時にお世話になっていたザカリー・スタイン博士が指摘していたように、日記の執筆には学習効果及び変容作用が内包されていることが疑いようのないものになってきた。

当然ながら何をどのように日記として書き留めておくかが重要になるが、文章を書くことの中にはまだまだ隠された秘密があるようだ。日記を執筆することが深い学びを促し、自己を深めていく力を持っている理由としては、文章を書くことによる主体客体作用によるものが大きいだろう。

特定の知識項目を対象にして日記として文章を書くことは、その対象を客体化させることにつながる。その過程において、当然ながら書いてみるまでは気づかないような発見事項が得られることもあろうだろうし、書く過程の中で自分の考えが再構成されていく。

また自己を対象に文章を執筆することは、自己という主体を客体化させることに他ならず、発達心理学者のロバート・キーガンが提唱している発達の原理に沿う。

学びを深めることにせよ、自己を深めることにせよ、そこには必ず未知なものを既知にしていくプロセス、つまり主体から客体へのプロセスが不可避に存在している。日記として文章を執筆していくことが学びや自己を深めることにつながる理由はそうしたところにあるのだと思う。

今日はこれからバッハの曲を参考に一曲ほど作る。69個の二声からなるコラールの一曲に範を求める。詰将棋を解くようなイメージでその曲を参考にする。

今日から少しばかりメロディーに対する意識をより強く持ってみてもいいかもしれない。昨日のピアニストの友人のコンサートに参加した際に、客席で一緒に聴いていた知人と休憩中に立ち話をした時、改めてメロディーの重要性に関する気づきを得た。

また、少し前から再度取り掛かろうと思っていた“Melody Writing and Analysis (1960)”を再び紐解く時期に差し掛かっているように思う。もう一度メロディーの大切さを考え直し、本書を読み進めながら美しいメロディーを生み出す方法を実践を通じて学んでいこうと思う。

少しずつ着実に歩みを進めていき、その一歩一歩の歩みを日記に書き記していく。フローニンゲン:2018/7/1(日)19:41 

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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