目の前に広がる大空に思わず手のひらを広げたくなるような日曜日。目の前には紺碧の青空が広がっており、全てのものを優しく包んでいる。
この青空をいつまでも眺めていたいという気持ちが起こる。吸い込まれるような壮麗さを持つ青空を眺めていると、自我が溶解し、この世界の中に溶け出してしまいそうだ。
実際に先ほどの自分は自我が溶解していたのだと思う。自我が溶解した後に固有の内的感覚が内側に残っている。
欧州での三年目の生活。それは本当にこれまでの二年間以上に激烈なものにしていく必要がある。
外形上はとても穏やかなのだ。人と関わることを一切やめ、とにかく自分の時間の中で自分のリズムで生きて行く。
決して他人や社会をそこに関わらせてはならない。今の自分がなそうとすることの性質を考えると、他人との関わりほど不必要なものはない。
極々少数の人とだけ時折交流があればそれでいい。もしくはそれさえなくてもいいかもしれない。
準備に時間がかかることを嘆くのはやめにしたほうがいいだろう。とにかく今の自分は準備の期間にある。
この期間に他者や社会と関わることは御免であるし、準備の期間が終わってからもなお一層のこと御免である。私に必要なのは本当の人間関係であって、偽りや馴れ合いの人間関係ではない。
後者の人間関係を通じて自らの人生を浪費したくはないという強い気持ちが沸き起こる。欧州に来てその気持ちは日々強まるばかりである。
今日の天気の素晴らしさは申し分ない。この季節がここまで晴天続きであったことをすっかり忘れていた。
一昨日も昨日も今日も明日も明後日も晴天が続く。これから一週間はずっと晴れであり、先週もそのような天気だった。
今はこの天気の素晴らしさを存分に享受しようと思う。またあの厳しい冬がやってくるのは確かなのだから、今はこの天気の素晴らしさを心の底から享受しよう。
それ以外に何ができるというのだろうか。自分にできることなど本当に少ないのだ。
今日から七月を迎えた。欧州での二年目の生活もあとひと月となる。
今月は区切りの月だ。実際に明々後日には研究の最終報告会があり、その日に論文を提出する。
それをもって晴れてフローニンゲン大学での二つ目の修士課程を終えることになる。この二年間は実に様々なことがあった。また様々な経験を積んでいったように思う。
欧州での生活が、オランダでの生活がこれほどまでに自分の人生を深めてくれるものになるとは全く思ってもいなかった。欧州での生活も八月から三年目に入る。
節目となる今月はフローニンゲンで一番気温が高くなる時期だが、それでも最高気温は20度前半であり、とても過ごしやすい。この時期を過ごすのはもう三回目なのだが、回を重ねるごとにこの季節の素晴らしさをより深く実感している。
厳しい冬を越える回数が増せば増すほどに、この季節の真価がわかる。物事の真の価値がわかるためにはどうやら必要な経験があるらしい。
今日も本当に新緑のリズムが聞こえてくるかのような素晴らしさだ。輝く太陽、爽やかな風、新緑の美しさ。こうした環境の中、自分はどう生きるかを毎日問われているような気がしている。
難しく考える必要はない。紺碧の青空のように、輝く太陽のように、爽やかな風のように、新緑のように生きればいいだけだ。フローニンゲン:2018/7/1(日)09:06