昨夜は上の階に住むピアニストの友人の修士課程修了コンサートに参加した。午後の七時前に自宅を出発した時、その明るさは夕方のそれよりも明るく感じられた。
日中は気温が上がっていたが、自宅を出発する頃は散歩をするにはちょうど良い気温であった。ゆっくりと30分ほど歩くと会場の音楽院に到着した。
コンサートホールの入り口にプログラムが置かれており、それを手にとって中に入った。すると会場の前方に見慣れた顔を発見した。
近所に住んでいるミヘルさんの姿を見つけた。いつも思うが、ミヘルさんは70歳を迎えているのに常に活力に満ち溢れており、とても若々しい。
コンサート開始の10分前に到着したため、ミヘルさんと少しばかり雑談をしているとすぐにコンサートが始まった。今回のコンサートはプログラムに記載されているように、実質上は修士課程の卒業試験である。
そのため、ピアノ演奏のみならず、途中で友人が行った研究のプレゼンテーションが挿入されていた。彼女と知り合ってから一年半以上になり、時折彼女の演奏会に参加したり、近所に住んでいるため時々話をしたりしていた。
今回の演奏とプレゼンテーションには彼女のオランダでの歩みが詰まっており、とても感銘を受けた。プログラムの合間の休憩の際に、隣に座っていたミヘルさんも彼女の変容に大きな感銘を受けたと述べていた。
「フローニンゲンは人を開かせるんだよ」とミヘルさんは笑いながら述べていたが、自分自身のこの二年間を振り返ってみた時に、あながちそれも間違いではないと思った。
プログラムは武満徹の『雨の樹素描 Ⅱ-オリヴィエ・メシアンの追憶に』から始まり、その次に彼女が修士課程で行った研究内容に関するプレゼンテーションがあった。これは心身のつながりからピアノ演奏を捉えていく研究であり、心身のつながりというのはちょうど私がジョン・エフ・ケネディ大学にいた時に強い関心を寄せていたテーマである。
そうしたこともあり、プレゼンテーションの内容を終始興味を持って聞いていた。発表後の質疑応答で一つばかり質問をしたが、まさに最初の武満徹の曲を演奏する時に今回の研究内容が見事に活かされていることを感じた。
舞台の上でいかに自らの心身を整え、自分自身とつながっていくか。そして演奏中における心の有り様と身体の動かし方は演奏の質をこれほどまで変えてくれるものなのだと思った。
彼女は20年以上もピアノ演奏をしており、プロのオーケストラと共演するなどすでに実績を持っているが、フローニンゲンの音楽院での学びと今回の研究を通じて一段別の次元の演奏者に変容したのではないかと感じた。
20年という長い年月をかけて音楽と向き合い、過去何度も演奏会やコンクールに出ている人間がこのように大きな変容を遂げ得るということに、改めて人間発達の奥深さを見たような気がした。
今回のコンサートは盛大な拍手と共に終了した。会場を後にして自宅に戻っている最中、この二年間の自分自身の歩みとこれからについて思いを馳せていた。
正直なところ、この二年間の自身の変容が自分ではわからない。過去の日記で書き留めているように、何かしらの変容体験を積んできたように思うが、それが今になって捉えどころのないようなものに思えてきた。
また、これからの自分の歩みについてもよく分からない。どれだけ自分はこれから歩けるのだろうか。
そんなことを思いながら日が暮れぬフローニンゲンの夏の夜の街を歩いていた。フローニンゲン:2018/7/1(日)07:54
プログラム構成
・雨の樹素描 Ⅱ-オリヴィエ・メシアンの追憶に-/ 武満 徹
・Prelude in d minor from Suite for Harpsichord / Jean-Henry d’Anglebert(ジャン=アンリ・ダングルベール)
・La Marella / Antoine Forqueray, transc. Jean-Baptiste-Antoine Forqueray(ジャン=バティスト・アントワーヌ・フォルクレ)
・Suite Bergamasque / Claude Debussy(クロード・ドビュッシー)
・Sonate pour piano / Henri Dutilleux(アンリ・デュティユー)