今日も夕方を迎えた。時刻は午後の六時半に近づいている。
今日は昨日よりも気温が高かく、とても暖かい一日だった。人によってはそれを暑いと言うかもしれない。
今日はこれまで外出を一切しておらず、書斎の窓から外を眺めると、外の暖かさが伝わって来る。今日は午前中に一曲、昼食後に一曲ほど曲を作った。
早朝の作曲実践と昼食後の作曲実践が完全に習慣になり始めているのはとても喜ばしい。この調子で明日も曲を作っていこうと思う。
今日の実践を通じてふと考えていたのは、確かに短い曲だけを作っていくことに焦点を当てながらも、その短い曲の中にもう少しストーリー性やメッセージを具現化させるにはどうしたらいいのかということだ。
俳句や短歌には物語性もあれば固有のメッセージもある。この点については作曲の原理原則である、多様性と統一性という考え方に立ち返ってみる必要があるかもしれない。
曲の中の統一性は物語やメッセージを支える幹であり、多様性はその幹に備わる実のような存在だ。幹と実をうまく形作っていくこと。それを明日からの作曲実践で意識したい。
今日は計画通り、“The Inner Nature of Music and the Experience of Tone (1983)”の一読目を終えた。やはりシュタイナーの音楽理論さらには意識の形而上学的思想からは学ぶことが多い。今後芸術教育に対する自分の考えを深めていく際に、シュタイナーの思想は核となっていくだろう。
明日はシュタイナーから影響を受けた音楽理論を展開している“Human Hearing and the Reality of Music (2013)”を読み進めていく。こちらの書籍に関してもすでに中身をざっと眺めてみたところ、本日読んだシュタイナーの書籍と同様に、あるいはそれ以上に得るものが多いことが期待される。
本書も分量としては多くないため、明日のうちに一読目が終わるだろう。このようにして着実に音楽理論に関する理解を深めていくことが大切だ。作曲実践だけに偏るのではなく、また理論の学習に偏るのでもなく、どちらも共に旺盛に行っていく。
夕方にふとしかきっかけで思ったのは、現在の自分の作曲実践のあり方と進め方、そして音楽理論の学習方法は、正規の学術機関に所属していては決して行えない類のものだろうということだ。おそらく正規の学術機関における作曲実践は、既存の枠組みの中で曲を作ることを強制され、音楽理論についても決してシュタイナーの理論など学ばないだろう。
そこで行なわれている実践や学習内容がいかに高度に体系化されていても、非常に冷たいものに思われてくる。これまで人間発達の研究をする際に学術機関に所属していた経験からも、やはりそこには探究方法と学習内容に固有の制限が存在していることがわかる。どうやら音楽の世界に身を置いている知人から話を聞いてみると、これは音楽の世界においても同じのようだ。
今日は作曲実践と読書以外にも、論文の修正を行った。昨日から作業内容と作業手順をイメージしていたためか、修正作業が想像以上に早く終わった。これで論文の修正も完了である。
修正が早く終わったため、明日に予定していた発表用のパワーポイントの作成に取り掛かった。これについても昨日の段階で構成と内容をイメージしていたため、発表資料もほぼ完成した。
あとは文言やフォーマットの微調整をするだけであり、何回かプレゼンの練習をするだけとなった。一つ一つの事柄が計画通りに着実に形になっていく姿を見ることができて嬉しく思う。
明日は発表用のパワーポイントを完成版にし、何度かプレゼンの練習をする。明後日の月曜日には論文全体をレビューし、提出用の完成版を作りたい。フローニンゲン:2018/6/30(土)18:42