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2720. 迫る旅に向けた期待と音楽体験の不思議さ


週末が終わり、今日から新たな週を迎えた。気がつけば、ロンドン旅行に向けた出発まであと二日となった。

明日の夜は旅行に向けた荷造りをしようと思う。そして今日は、七月の半ばに予定していた、デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園内にあるクレラー・ミュラー美術館を訪れる二泊三日の小旅行に向けてホテルを確保しておきたい。

昨年の11月に訪れた時と同じホテルに宿泊するか、あるいは前回とは違うホテルにするかをまた後ほど考えたいと思う。日々の探究活動の合間に旅を時折挟むこと。それが今うまく回り始めている。

こうした生活を欧州での三年目に確立していく。書物から得られることが多いのと同時に、旅から得られるものも本当に多い。昨夜は就寝前に改めてそのようなことを考えていた。

日々書物を読み、時折旅に出かけ、そして日記の執筆と作曲実践という創造活動に耐えず従事していくこと。自分の中で、読書、旅、日記、作曲が全て等しい重要性を持ちながら一つの大きな生活実践へと昇華されつつあるのを実感する。

これを完全な一つの形にすることが欧州での三年目の生活に求められていることだ。またそうしたことを行うために私はもう一年ここに残ることになったのだと思う。

とにかくそれを実現させることに近づく行動だけを取り、それから離れることを招き得る行動は取らないようにする。この一年を欧州の地でいかように過ごすかは今後の人生において決定的な重要性を帯びているように思えてくる。

今朝はあまり小鳥の鳴き声がしない。どうしたのだろうか。その代わりにたった今、数羽のカラスが雄叫びを上げながら飛び去っていったのを目撃した。

昨日は一日が終わりに近づくにつれて雲間から太陽の光が差し込んできた。事実、就寝前の午後10時あたりには暮れ行く夕日の姿を眺めた。

今朝は一転して、薄い雲が空全体を覆っている。今日は基本的には一日中曇りであり、昼の前後に小雨が降るようだ。

今朝起床直後に描いた絵は、太陽と海を象徴するような内容を持っていた。夕日に照らされる海。海面に夕日の光が揺らめいているあの光景を描いた。

なぜ私は早朝にそのような主題の絵を描いていたのかはわからない。だがそれを描き終わった後、何かが浄化されるような感覚があった。

内的感覚を絵として形にすることの恩恵のようなものを感じた。これは作曲についても全く同様である。

昨日改めて、音楽は不思議な存在だと思った。というのも、他の芸術作品と異なって、音楽は目に見えるような形を生み出さず、音楽空間という目には見えないものを生み出すことに作品形式としての特徴を持つからだ。

確かに、楽譜を一つの形と見れなくもないが、それは実際の音楽体験を生み出すための装置でしかなく、極論をすれば単なる記号表現に過ぎない。音楽の鑑賞者は、そうした記号から意味を得ているのではなく、記号から生まれる音を鑑賞し、そこから意味や体験を得る。

昨日読んでいた書籍にも書かれていたが、そう考えてみると、音楽というのは非常に抽象的な世界でなされる営みであり、形を持たない音には特殊な純粋性があるのだと思う。

他の芸術と音楽との比較、および音の性質については引き続き考えを深めていきたいと思う。今日はこれから作曲実践をする。今日は作曲から一日を始めたい気分だ。フローニンゲン:2018/6/18(月)06:43 

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