今朝はいつもより幾分早く四時過ぎに起床した。この時間帯に目を覚ました時、外はまだ薄暗かったが、すでに小鳥たちは活動を始めていたらしく、彼らの鳴き声が外の世界に響き渡っていた。
普段より早い一日のスタートを切った日曜日の朝。今日も普段と変わらない生活を送っていく。今日は作曲理論と音楽理論に関する書籍を旺盛に読み、ゴッホの手紙も読みたいと思う。
四時過ぎに起床した時は空に薄い雲がかかっていたが、六時半を迎えようとしている今はそうした雲はほとんど無い。その代わりに、ライトブルーの青空が広がっている。
気温は相変わらず低く、今週の水曜日にロンドンへ出発する日を除いては、軒並み20度を下回る気温である。自宅にいる時は長袖と長ズボンを着て生活をする日々がまだまだ続きそうだ。
昨日に計画していたように、今朝は起きてすぐに内的感覚をデッサンした。内側のものを外側に形にしながら日々の生活を営んでいくこと。
形を待つものに形を与えていくことによって、やはり自分の内側の流れが円滑なものになる感覚がある。これは是非とも継続させていきたい習慣だ。
昨日改めて時代精神と個人の内側にある芸術性について考えていた。現代というのはもしかすると、個人の中に宿る芸術性を窒息させてしまうような時代なのではないかという問題意識がある。
人は多分に創造的であり、芸術的であると思うのだが、そうした個人の創造性や芸術性が一向に育まれていかない時代の様相を眺めていると、現代という時代は個人の創造性や芸術性を抑圧するような何かを持っているように思えてくる。
現代の思想的・構造的な性質に合わせて、芸術教育が機能していないということにも強い問題意識を最近持っている。芸術性というものがいかに育まれていくかという理論に基づく教育、そして芸術性をいかに育んでいくかという実践的な叡智に基づく教育。そうした教育が欠落しているように思えるのは私だけではないだろう。
そうした問題意識を持って、芸術に関する教育哲学の探究に力を入れ始めている。特に、シュタイナーの芸術教育思想には考えさせられることが数多くあり、とりわけ最近はシュタイナーの思想書を読んでいる。今の私にとって、芸術教育に関する理論と実践的な叡智を学ぶ上でシュタイナーの書籍は欠かせない。
この時代が持つ、芸術性の芽を早期に紡いでしまう作用、さらには芸術性の成長を阻害する作用の根幹部分を突き詰めていく。ここに今の自分の関心の焦点がある。フローニンゲン:2018/6/17(日)06:40