時刻は夕方の七時半を迎えた。小鳥の鳴き声が穏やかな夕方の印象をより一層強めている。爽やかな風がフローニンゲンの街を吹き抜けている。この時間帯の明るさを考えると、それを夜風と呼ぶのはまだ早いだろう。
書斎の窓から外を眺めながら、今日の昼食後に訪れたマルティニ教会でのパイプオルガンコンサートについて思い返していた。何度思い出してみても、あの荘厳かつ巨大なパイプオルガンには目を見張るものがある。
一体いつどのように作られたものなのか関心が尽きない。次回教会を訪れた際に関係者の人にあれこれと質問をしてみたいと思う。
コンサートを終えた後、教会を出ると、私は教会の全景をまじまじと何度も眺めた。まずは教会の真下から天空を仰ぎ見るかのように教会のてっぺんを見つめた。
その後、少しずつ教会から離れながら教会の全景を眺めていった。立派な時計が四方に備え付けられている。そしてある特定の時刻を知らす立派な鐘の姿が見える。
改めてマルティニ塔をじっくり眺めてみると、二年前によくよく眺めた時の印象と異なるものを今の自分が持っていることに気づいた。印象の変化が起こっている。
それは自己の内面の深化を意味していた。そこには印象の深まりがあり、同時に内面の深まりがあった。
マルティニ塔をしばらく眺めた後、目には見えない概念的・思想的な構築物のみならず、物質的に立派な構築物にもやはり感銘を受けるものだとつくづく思った。人間が自らの手であのように精巧かつ厳かな建造物を作れるということに改めて感じるものがあった。
しばらくその場で物思いにふけった後、マルティニ塔を眺めることをやめ、クリーニングに出していたものを受け取るためにクリーニング屋に向かった。その道中、コンサートの影響もあってか、目に映る光景が随分と新鮮なものに映った。
日常携えている自分の眼は一体なんなのだと疑ってしまうほどである。純粋な音楽体験は間違いなく意識の変容作用を持っている。
シャーマンや宗教音楽などを思い出すまでもなく、音楽は私たちの意識を変容させる力を秘めている。それは意識の状態の変化であり、一時期的なものなのだが、変容後の意識を深く自覚するとき、それは一時的な体験から一つの経験へと昇華されていく。
音楽体験を消費するのではなく、一時的な変容体験に酔うのではなく、それを経験にまで昇華させていくことを前提に、欧州で過ごす三年目は直接的な音楽体験を積極的に数多く積んでいこうと思う。
先ほどまで雲に覆われていた空が少し晴れ、今は西の空に沈みゆく夕日を眺めることができる。今日はもう少しで一日を終えるが、明日もまた旺盛な探究活動と創造活動に従事できることが今から楽しみだ。
今日という一日が充実感に満ちたものであったと思えること、そして明日を楽しみに今日を終えることができることほど幸せなことはない。フローニンゲン:2018/6/15(金)20:01