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2683. 何気ない月曜日の朝より


今日の早朝はどこか不思議な美しさを持っている。書斎から見える空は少しばかり黒い雲で覆われているのだが、朝日が燦々と街に降り注いでいる。

ここからでは確認できないが、朝日の方角の空は晴れているのだろう。ここ数日間は五時前に起きるような日々が続いたが、今日は一時間遅く六時前に起床した。

寝室から朝日が美しく輝いており、今日一日が輝いたものになるであろうことを象徴していた。時刻は六時半に迫ろうとしている。

今この瞬間には、種々の小鳥たちが固有の鳴き声を上げている。それに耳を傾けていると、昨日のバッハのアンサンブルコンサートを思い出した。

様々な声部から構成される合唱も曲の一つにあった。人は皆固有の声を持っている。それを育み、しかるべき時にしかるべき方法でその固有の声を発することの大切さ。

人が固有の声を持つというのは、その声を外側に表明するためにあるのではないかと思う。なぜなら、この世界は多様性で成り立っており、一つ一つの声は多様性をもたらすために不可欠なものであるからだ。種々様々な小鳥たちの鳴き声がそのようなことを教えてくれる。

天気予報を確認すると、今日は一日を通して晴れるようだ。ただし、気温は高くない。最高気温は18度であり、日本で言えば春がようやく訪れた時のような、あるいは秋が深まりつつあるような体感温度である。

明日はさらに気温が下がるようだ。涼しい夏の季節においても、自分の内側には静かに燃え続けているものがあることに気づく。それをもとにこの夏も、そしてこの秋も冬も力強く過ごしていく心持ちでいる。

今日は晴れるようであるから、午後からは大学の図書館に久しぶりに足を運びたいと思う。そこで勉強するわけでも、本を読むわけでもなく、協働プロジェクトに関する書類を印刷するためだ。

図書館で印刷が済んだらその足で街の中心部に向かい、冬用のコートとマフラーをクリーニングに出す。さすがにもうコートとマフラーは必要ない。

ただし、気がつかないうちにそれらが必要となる季節がやってくることを知っているため、遅くともこの時期にそれらを一度クリーニングしておきたいと思った。それと先日、ズボンを洗い、アイロンをかけている時、思わぬ高熱によってズボンの一部を溶かしてしまったので、その修理も頼めるかをクリーニング屋に確認する。

クリーニング屋を後にすると、その足で街の中心部に買い物に出かける。少しばかり必要なものがあるため、それを買いに行く。

実は昨日、街の中心部にあるLutherse教会のコンサートに参加した後に買い物を済ませようと思ったのだが、夕方の五時にはもう多くの店が閉まっていた。そのため、今日買い物を済ませる。

買い物に行くついでに途中でお金を下ろしておく必要がある。昨日コンサートに参加するために15ユーロを紙幣で支払ったため、財布には紙幣がなくなり、いよいよ数ユーロの硬貨だけとなった。

今年はほぼ毎月欧州各地を旅行するため、財布の中の所持金が数百円ではさすがに心もとない。今回は一年弱ぶりに100ユーロを下ろそうと思う。

今の換算レートで言えば1万数千円ぐらいだろうか。それぐらいあれば、これからの旅行で現金しか使えない場合にも十分に対処することができるだろう。

これまでの経験上、今年にいくら旅を重ねようともこの100ユーロはすぐにはなくらないように思う。あえてなくなる可能性があるとすれば、今月から頻繁に足を運ぼうと思っている教会コンサートのチケット代金や寄付金によって減っていくことになると思う。そのようなことを早朝にふと考えていた。フローニンゲン:2018/6/11(月)06:43 

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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