今朝は五時前に起床したため、早いもので起床から四時間が経とうとしている。朝早くに起きて一日を開始させると、午前中の間にいろいろなことに取り組むことができる。
先ほどまでは日記の執筆に並行して、音楽理論のテキストを読み進めていた。その書籍は300ページを越す分量を持っているが、解説の英語は非常に平易だ。
早朝の読書によってすでに四分の一を読み進めることができた。実は今回が三読目であることも読解をスムーズなものにしていたように思う。
今日はこれから過去の日記を少しばかり編集し、その後にまた本書の続きを読み進めたい。この調子で読み進めることができれば、本日中に半分以上を読み終えることができるのではないかと思う。
音楽理論に関する知識を少しずつ拡充させていくことによって、作曲実践がより豊かなものになっていくだろう。ちょうど先日、九月からはどの大学にも所属はしないが、フローニンゲン大学で提供されている音楽に関するコースを聴講したいと考えた。
そうでもしない限り、私はおそらく買い物以外は自宅から外に出ないだろう。一週間に一度ぐらいは外に出かけ、大学の雰囲気の中に身を置くのも悪くないように思える。何よりもそれは良い気分転換になるだろう。
調べてみると、昨年にクラシック音楽の歴史と音楽理論に関するセメスターのコースが提供されていることを見つけた。もし今年もそのコースが提供されるのであれば、ぜひ講義を聴講したいと思う。
今朝方に雨が降り、それが一旦止んでまた雨が降り始めた。それもまた止んで今は再び雨の降らない曇った天気となっている。小鳥が早朝からずっと小さく鳴き続けている。
ここ数日間、書斎の窓に小鳥が休みにやってくる光景を何度か目撃した。先ほど書斎の窓を開けてみると、小鳥が訪れた痕跡があった。
そしてよくよく見ると、小さな糞が残されていた。窓際の風の通り道に糞が残されているが、これも今日の雨によって洗い流されるだろう。
今日はこれから過去の日記を編集し、音楽理論に関する書籍を読むことに合わせて、旺盛に作曲実践をしていきたい。ここ最近は毎日二曲作っている。昨日は三曲作った。
作曲をする際にも、文章の執筆と同じであり、集中力と共に、内側のものを外側に表現していくエネルギーのようなものが要求される。それらを総合して考えると、一日に二曲作るというのは今の自分にとって適量だと言える。
仮に余力があり、創作意欲が依然として高い状態であれば三曲目をその日に作るというのが賢明だろう。これからは毎日、少なくとも二曲作り、自分の心身の状態を見て三曲目を作る。
一日三曲以上作る日も不定期に訪れるかもしれないが、とりあえず今はそこまでの量を作ることを自らに課さない。実践は最良の学びをもたらすが、今の私は作曲実践に並行して、音楽理論や作曲理論に関する知識を取り入れることも大切であるということを忘れてはならない。
ゴッホが絵画の修練を積んでいる時、ミレーの作品に範を求めていたのと同じように、私も引き続き過去の偉大な作曲家に範を求めていく。核となるのは、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、バルトークであり、時折他の作曲家、特にショパンに範を求めていく。
その他にも、テレマン、クレメンティ、シューベルト、リスト、ドビュッシー、サティ、グリーグ、フォーレ、スクリャービンらの楽譜があるため、彼らの曲については不定期に参照することになるだろう。まずは核となる作曲家の曲を全て参考にし、その後に他の作曲家の作品から積極的に学びを得ていこうと思う。
現在所持している楽譜はすでにかなりの量になるが、それらに掲載されている曲は全て参考にしようと思う。全ての曲に範を求める形で一度曲を作り、同じことをもう一度全ての曲に対して行えば、随分と作曲技術が高まっているだろうと期待される。
その頃には、自分なりの文体とでも呼ぶべき作曲技法が獲得されているのではないかと期待する。今日はバッハとモーツァルト、そしてショパンに範を求める形で三曲作る時間があるかもしれない。このように毎日少しずつ進歩を遂げていく。フローニンゲン:2018/6/9(土)09:19