今日は午前中に一曲、昼食後にもう一曲作った。それらの曲はどちらも共にモーツァルトが17歳の時に作曲したものだ。
これまではモーツァルトがより幼少期の頃の曲に範を求めていた。それらの曲との比較で言うと、やはり今日参考にした二曲の方が洗練されている。
明日は早朝に再度モーツァルトに範を求め、午後からはバッハの曲を参考にしたい。一日に作曲実践を二度行うというリズムをなんとか確立していきたいと思う。
午後の作曲を終え、仮眠を取ってから、論文の加筆修正を行った。およそ三時間ほど加筆修正に集中することができ、目標にしていた半分の作業が終わった。
しばらく文章を寝かせ、再度読んでみると、自分の文章の穴に気づくことができ、そうした穴を補強する形で進めた今日の加筆修正は極めて納得のいくものであった。明日もまた今日と同じ時間帯から加筆修正を行っていきたいと思う。
今日は昼食前にデッサンで用いている色鉛筆を自分で削った。電動の削り機ではなく、フローニンゲンの街の中心部の文房具屋で購入したとても小さな削り機を用いて自らの手で色鉛筆を削った。
鉛筆を削ったのは一体何年振りだろうか。削り機を回す感触と削り屑が出てくる音がとても懐かしかった。
自分の手で道具の手入れをするとそれに対してとても愛着が湧く。今の私は、内的感覚をデッサンするためのこの色鉛筆になんとも言えない愛着を覚えている。
時刻は日曜日の午後七時半を迎えた。起床した早朝の六時と似た様な明るさを持っており、今が朝だと言われても外見上はわからないほどだ。
早朝から今にかけて空はずっと薄い雲で覆われていた。そのせいもあってか、今日は一日を通して涼しかった。明日はさらに気温が低くなるようだ。
今日はこれから音楽理論に関する専門書とハーモニーに関する専門書を読み進めていく。現在作曲実践に関しては毎日行えており、それは大変良い習慣となっているため、理論的な学習も毎日の習慣にしたいと思う。
確かにこれは以前から述べていたことではあるが、まだ完全な習慣になっていないことからも、無理をせず、毎日少しの量を学習していくことが肝要だろう。それらの学習を終えたら、就寝前には昨夜の続きとして、ヴァン・ゴッホ美術館で購入したDVDを鑑賞したい。
これはゴッホの生涯を辿るドキュメンタリーであり、ゴッホの人となり、そして絵画に対する思想を理解する上で非常に有益な内容だ。昨日DVDを見ていた時にも思ったが、ゴッホがつぶさに絵画の制作過程を手紙の形で弟に報告していたことは、ゴッホの絵画制作に対する思想と技術を育んでいく上でなくてはならなかったものだったと言える。
弟のテオに宛てた手紙では、逐一何をどのような意図を持って描いていたかを書き留めており、ゴッホは絶えず自己反省を手紙を書くという実践を通じて行っていた。絶え間ない自己反省と実践の往復。
ゴッホはテオと手紙の往復をしていただけではなく、それを通じて絶えざる自己反省と実践を繰り返していたのである。ゴッホに倣い、落ち着いた馬車馬のように毎日書くことを通じた自己反省を行い、それと同時に、作曲を含めた諸々の実践活動に従事していく。それがいつか必ずや自分の思想と技術を目に見える形で大きく育むことにつながるだろう。フローニンゲン:2018/6/3(日)19:47