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2644. 【アムステルダム滞在記】幻滅


アムステルダムで迎える土曜日の朝。空は曇っており、気温は低い。

今日のアムステルダムは一日中曇りのようだ。フローニンゲンの天気も確認してみると、ほぼ同様であった。

気温は20度ほとであり、少々肌寒く、長袖で外出をする必要がある。ホテルのチェックアウトまでまだ時間があるので少しばかり文章を書き留めておく。

今後の探究活動の方向性についてはほぼ明確になった。科学的な論文を書くことにはもう関心を失ってしまった。

科学的な論文を読み、その知見を自分の日々や仕事に活かしていくことはあったとしても、自ら率先して科学的な論文を執筆することはもうないかもしれない。

これからは探究事項を大きく変えていく。フローニンゲンで過ごす二年目の最後のこの時期に本格的に探究を始めた美学及び芸術教育に探究項目を変えていく。少なくとも今年一年は学術機関に所属せず、自らの関心に従うままにそれらの探究を行っていく。

学会初日のポスターセッションで非常に面白い研究をしているブラジル人教授と出会った。その女性教授は、ヴィゴツキーとシュタイナーの思想を比較する研究を行っていた。

その教授はとても陽気な方であり、彼女のポスタープレゼンテーションと学会初日のポール・ヴァン・ギアート教授のプレゼンテーションだけが今回私の心を動かした。この教授は主にポルトガル語で論文を執筆しているそうだが、英語の論文もあるようであり、ポスターの引用欄に掲載してあった英語の論文を早速読みたいと思う。

今私はシュタイナーの芸術教育に対する考え方と実践方法に強い関心を持っている。また、色彩と音楽に対するシュタイナーの思想にも注目をしている。

科学的な論文を執筆することはもうないかもしれないが、思想的な論文を書く可能性はまだ残されている。もしかすると、今後明確な思想的探究事項が定まったら博士課程に進学をするかもしれない。

それまでは博士課程に行かないようにする。せっかく四年以上の時間を博士課程で過ごすのであるから、明確な主題を持たぬまま無為な時間を過ごしたくはない。

今年一年は創造活動に明け暮れる中で、思想的なものを自分の関心に赴くままに探究していこうと思う。その過程の中で、自分が博士課程に進んでもいいと思えるほどの探究項目の輪郭が徐々に明らかになってくるかもしれない。

今日は学会に参加せず、そのままフローニンゲンに帰る。今回の学会の中で参加した一つの分科会でのやり取りが印象に残っている。

その分科会は、今回の学会ではおそらく唯一、哲学者だけが発表を担当しており、内容としてピアジェの哲学思想に踏み込んでいくものだった。

その分科会の中で、毎回発表者に対して激しい攻撃をする70歳を過ぎた学者がいた。彼の英語から察するに、英語圏の人間ではなさそうだった。

私は初めて思想的な激しい対決をそこで見たように思う。正確には、発表者の教授は二人とも成熟しており、非常に冷静だったのだが、聴衆の一人であったその年老いた学者がなぜだかわからないが口調を荒げて質問や意見を何度も述べていた。

その初老の学者を見ながら私はとても幼稚な学者もいるものだと思ったし、おそらく周りの人たちもそのように思っていただろう。人格が未熟な学者がいることは当然だろうが、その年でそのような成熟しか遂げていない者が本当に存在しているのだということを初めて目撃したように思う。

その初老の学者はピアジェの思想に対する思い入れが人一倍強いのかもしれない。彼の口調を観察していると、何か自分が信仰する宗教が否定されたかのような怒りの念を持っているように思えた。

発表を担当した二人の教授がとても冷静であったことは素晴らしいと思う。思想的な発表をする際には、もしかしたらこうしたことが付き物なのかもしれない。

そのため、発表を担当した経験豊富な二人の教授はこうしたことに慣れていたのだろう。しかし今思い出してみても、その場でのやり取りは私を幻滅させるには十分であった。アムステルダム:2018/6/2(土)07:39 

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