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2589. 作曲理論の構築に向けて


時刻は夕方の四時を迎えた。フローニンゲンではこの時間帯が最も気温が高くなる。確かに今は西日が強いが、今日の気温はそれでもやはり涼しい。

爽やかな風がフローニンゲンの街を駆け抜けており、街路樹の木々の葉を優しく揺らしている。風と街全体が一つの揺りかごのような器となり、街路樹を含めた自然を包んでいる。そして、自然はまた街全体を包み返している。

今日はこれから作曲実践を行う。実際には昼食後に一度作曲実践を行い、すでに一曲ほど作った。ただしそれは、昨日作った曲の調を実験的に変え、モチーフやメロディーの部分を修正したものに過ぎない。

すでに作った曲を修正したり、それを膨らませることによって新たな気づきや発見がもたらされるのは確かだが、それは期待していたよりも少ないものであった。昨夜、その日に作った曲をその日のうちに新たな曲として編曲することによって作曲経験を増やし、作曲技術を高めていこうと思ったが、今の私にとって最も学びになるのは、そうした編曲を行うことではなく、新たに曲を作っていくことだと改めて実感した。

過去の作曲家に範を求め、一つ一つ新たに曲を作っていく。夏以降は時間帯を変えて毎日二曲ほど作ることができれば理想だが、それまでは少なくとも毎日一曲ずつ作っていく。

とにかく曲を生成することを通じて作曲経験を豊かにし、その経験から汲み取れることをできる限り言語化していく。今の私は、まだまだ作曲に関しては言語化が足りていない。

それはおそらく、言語化に資するだけの経験をまだ十分に積んでいないからかもしれないし、言語化するだけの音楽言語を持ち合わせていないからかもしれない。前者に関して言えば、一つの経験の中にも必ず何かしらの気づきや発見があることを考えると、できるだけ言語化をしておきたいと思う。

今はそうした気づきや発見を自然言語の形ではなく、とりあえずデッサンの形で作曲ノートに残している。曲を作り終えた後にその曲を聴いた時に喚起される内的感覚をとりあえずデッサンしておくことは、作曲体験そのものをさらに豊かなものにするために有益な実践だろう。

先ほど、辻邦生先生の『小説への序章』を何章か読み進めた。これは辻先生が42歳の時に世に送り出した小説論であるが、それ以降に書かれたどんな評論よりも難解であるように思える。

それでいて、一番得るものが多いように感じるのも事実だ。私が本書を読み進めている意図は明確であり、小説を執筆するためではなく、自らの作曲理論を構築していく足がかりを得るためである。

本書を私は曲の制作方法の理論書とみなして読み進めている。小説と作曲は表現媒体が異なるため、その創造プロセスにおいても異なることが多いが、同時に見過ごせない共通事項が存在しているように思う。

それは美を創出する普遍的な方法と呼べるかもしれない。それを自分なりに掴み、その方法を自らの言葉で説明できるようにしていく。

その実現に向けた洞察を無数に提供してくれるのが本書だ。短い曲の中で、感情の動きや内的感覚を目には見えない物語構造の中で表現できるようになることを当面の目標とする。フローニンゲン:2018/5/20(日)16:29

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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