当初の予定通りに“In Defense of Humanism: Value in the Arts and Letters (1996)”を先ほど読み終えた。昨日の日記で書き留めていたように、本書の注記は非常に充実しており、得るものが多かった。
本書の中に下線を引いた箇所や書き込みをした箇所を中心に、近々また再読をしたいと思う。今日はこれから論文の加筆修正に取り掛かり、午後から作曲実践と過去の日記の編集を行ったら、美学の書籍に再び取り掛かるよりも、先日購入したシュリ・オーロビンドの書籍のうちの一冊を読み始めていこうと思う。
購入したオーロビンドの三冊の書籍のうち、まずは“Sri AUrobindo: The Adventure of Consciousness (1968)”から読み進めていく。オーロビンドが提唱した意識の発達理論についてはその概要しか知らず、これまで深くその理論体系を学んだことはなかった。これを機に、オーロビンドの意識の形而上学思想を深く理解していきたいと思う。
今朝方、過去に自分が作った曲を聴いていると、昨日の就寝前の体験が思い出された。一昨日に白い光を知覚する体験をし、昨日は千変万化する鮮やかな心象イメージを知覚するという体験をしていた。これらの体験はこれまで何度も経験しているものであり、特に不思議なことでもないのだが、そうした絶えず変化するシンボルを生み出す意識の場には依然として強い関心がある。
昨夜の就寝前に知覚されていた無数のイメージを追ってみたところで、そこに規則性などを見出すことは難しく、何よりその変化の速度についていくことは通常の認識力では不可能であった。目まぐるしく移り変わる心象イメージを静かに観察していると、それは千変万化する知覚上の虹を眺めているかのようだった。
こうした虹を生み出している要素と作用を発見していきたいと思う。なぜなら、ここに人間が司る直観力や創造性の鍵がありそうだと感じているからだ。絶えず泉のように湧きあがってくる心象イメージを観察していたことを思い出しながらそのようなことを思った。
論文の加筆修正に取り掛かる前にもう一つだけ書き留めておきたいのは、先ほどふと、最後の最後まで書き続けることの意義を再度実感したことだ。端的には、人生を閉じるその瞬間まで文章を書き続けていくことの意義を改めて実感したということだ。
今の私はどこか、人間に不可避の死という現象が自分に迫った時に、自分は一体何を感じ、何を考えるのかに強い関心がある。私はこれまで死に行く者の言葉をあまり見たことがない。
死が一歩一歩近づいてくる時に、人間は何を見、何を感じ、何を考えるのか。それに対して静かで激しい関心がある。
一切風がなく静止した世界が目の前に広がっている。雲の動きも視覚では捉えることができず、相変わらず薄い雲が空全体を覆っている。
幾分灰色がかった世界がここにある。それとは対照的に、色彩に溢れたバッハの音楽が書斎に鳴り響いている。
空っぽになったコーヒーカップにコーヒーを注ぎ、これから論文の加筆修正に集中して取り組む。フローニンゲン:2018/5/19(土)10:12
No.1025: A Midsummer Swan
I can sense a midsummer swan flying to the sky. Also, I can hear the swan gently landing on the tranquil surface of a lake. Groningen, 10:25, Tuesday, 6/19/2018