昨日の早朝から、新たな朝の習慣として、プラトン全集の素読を行うようになった。今朝もそれを行った。
プラトン全集を読むことによって一日の活動の開始に向けて準備をするというのは今の自分に合っているようだ。プラトン全集を読むことは言語的なものに接することを意味しているため、全集を読む前に、起床直後の内的感覚をデッサンすることを先に行おうと思う。
このあたりは些細な修正かもしれないが、順番としてはまずデッサンを行い、そのあとにプラトン全集を読むことにする。日記の執筆は全集の音読を数十分ほど行ってからにしようと思う。
空を眺めると、一羽の白い鳥が西から東に向かって飛んでいるのが見えた。その鳥のみならず、よくよく眼を凝らしてみると、多くの鳥たちが空を舞っていることに気づく。
見ようとすると見えてくるものがあり、聞こうとすると聞こえてくるものがある。開けられた書斎の窓の方に意識を向け、外の音に注意深くなってみると、小鳥たちの鳴き声が時折聞こえてくる。
もっと注意してみると、風の音さえ聞こえてくる。やはりこの世界には、私たちが意識をしなければ感じられないものが無数に存在するのだとわかる。何かにアクセスしようとすれば、開かれてくる何かがそこにあるのではないだろうか。
今朝方に書き留めた日記の中で、感性を磨いていくことの大切さを書き留めていたが、まさにこうした普段気づかぬものへ意識を向けていくというのは感性を鍛錬する一つの方法だろう。また、そもそも人間にはなかなか把握することのできない微細な現象がこの世界には無数に存在しており、それらを把握するように努めていくような精神的修練も必要になる。
知覚しようと思って初めて知覚できるものが無数に存在しているということ、そしてそれらを知覚するための鍛錬を積んでいけば感覚が開発されうるということを絶えず念頭に置き、その実現に向けた鍛錬を今日からより一層意識していきたいと思う。
起床してから二時間ばかりが経とうとしているが、今朝方の夢の断片についてまだ覚えている。夢の中で私は、実家で飼っている愛犬と部屋の中で戯れていた。父が外出をする際に、愛犬は見送りに出るかのように玄関の方にゆっくりと歩いて行った。
私はその様子を微笑ましく眺め、父が玄関から外に出ると、愛犬は見送りを終え、私の方に歩み寄ってきた。しばらく戯れていると、急に愛犬の左目が膨れ上がってきた。
黒目の部分が出目金のようになり、私はすぐにその異変を察知した。黒目の部分が出目になった愛犬は痛さを感じている様子はなかったが、私は別の部屋にいた母にすぐに声をかけた。
部屋から出てきた母も一瞬驚いた様子を見せながらも、実に冷静に何か特殊な目薬を愛犬にさした。するとしばらくして愛犬の出目が治まって行った。
そこで夢の場面が変わったが、それ以降の内容については覚えていない。ただし、思わず笑ってしまうような出来事があり、夢の中で大笑いをしていたことを覚えている。
また、それは夢の中のみならず、大笑いによって一瞬目覚めた時、ベッドの上の自分も大笑いをしていたことを知った。何が愉快だったのかわからないが、起床直後もしばらく愉快な感覚が残っていた。フローニンゲン:2018/5/16(水)07:34
No.1018: A Lamenting Jizo
As a weather forecast says, it began to rain in the afternoon. It looks and sounds like as if a Jizo were lamenting for something in this modern society. Groningen, 10:24, Thursday, 6/14/2018