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2562. 言葉と感性の共時的深化


早朝に引き続き、自らの感性を鍛錬する方法についてしばらく考えていた。明確な方法というものはないのだが、自分なりに手探りで諸々の実践をしている。

また、そうした方法について改善するべきところや新たな着想はないかとあれこれ考えていた。日々の生活の中で接する音楽や絵画との向き合い方をより意識的なものにしたいと思う。

幸いにも、日々の生活の中に傑出した音楽や絵画が周りにたくさんある。それを軸として自らの感性を磨いていきたいと改めて思う。

当然感性を磨くための出発点として、何らかの観点が必要だ。あるいは、音楽や絵画と接した時に引き起こされる感覚をもとに、観点を獲得していくような意識を持つ必要もある。

感性を養うためにもやはり観点というものが必要であり、刺激された感性から観点をまた広く深いものにしていくことが必要になる。直感的・感覚的・思索的であるということを全て三位一体として実践していくことが求められる。

フローニンゲン大学で二年間ほど科学の世界の枠組みで思考することを要求されていた反動からか、再び自分の関心が秘教的・神秘主義的なものに向かっている。秘教的・神秘主義的な思想や実践方法について再度自分なりに探究をし、それを日々の創造活動の中に流し込んでいく。

人間の知性すら疑う知性のたくましさを獲得していくことが迫られている。それは自分だけの話ではなく、現代人の多くに当てはまることなのではないかとふと思う。

自らが発揮する知性がいかに脆弱なものであるかを透徹な眼差しで見ることができるようなたくましい知性の存在。そうした知性の獲得を望む。

何を思ったのか、書斎の本棚から“Plato: Complete Works (1997)”を引っ張り出した。これは1800ページに及ぶプラトン全集であり、数年前に購入してからまだ一度も全体を通して読んだことがない。

ここで一つのことを思い立ち、明日の朝から新たな習慣として、本書を30-40分程度毎日素読していく。直感的に、本書を最初から最後まで精読していくのではなく、音読を通じて身体的にそれと触れることが何よりも大切だということがわかった。明日から本書の素読を新たな習慣にする。

とにかく言葉を紡ぎ出す形で思索を深めていこうと思う。内側から出てこようとする思念を次から次に形にしていく。もしかすると、成人期を迎えた今の私の感性というものも書くことでしか養われていかないのではないかと思う。

ここから先に進むためには、何かを深めていくためには、兎にも角にも書き続けていく必要がある。断続的に書いていては何も始まらない。とにかく書き続けること。

そのようなことを考えていると、以前からぼんやりと考えていた、「言葉が言葉を生んでいく」という現象について再び意識が向かった。どうやら言葉にも自己組織化現象が見られるようなのだ。

問いが問いを生むように、言葉が次の言葉を導いていく。こうした現象を「言葉の自己組織化作用」と名付けるようにし、その作用を活用しながら自らの考えを深めていこうと思うに至った。

また、感性はこうした言葉の自己組織化作用の力を借りながら、感性そのものの自己組織化を行っていくのだと思うようになっている。つまり、一つの言葉が新たな言葉を生み出すのに並行して、一つの感性が新たな感性を開いていく、そんな様子を見て取ることができる。

それが言葉と感性の共時的深化なのだと思う。欧州での三年目でやるべきことがあるとすれば、言葉と感性の共時的深化とそれに立脚した創造活動だけだ。本当にそれだけだ。

その他のことは二の次だ。いや着手すらしない。フローニンゲン:2018/5/14(月)11:05

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