今朝方、ワルシャワを訪れた時の日記を読み返してみると、旅が自己を深めていく働きの存在についてまた見えてくるものがあった。ワルシャワに滞在中、その日に体験したことや考えたこと、そして感じていたことは無数に存在していたにもかかわらず、それがうまく言葉にならないという状態にあった。
そうした現象を引き起こしていたのは、まさに旅がもたらす揺らぎに他ならないということに気づかされた。私たちは揺らぎを通じて自己を深めていく。
厳密には、私たちは絶えず揺らぎの中で生きているのだが、私たちの自己を深めるに資する波形の揺らぎが存在しており、旅は往々にしてそうした揺らぎを私たちにもたらす。こうした揺らぎの経験をするとき、うまく自らの言葉を紡ぎ出すことが一時的にできなくなるのではないかと思われた。
というのも、自己を深めていく揺らぎというのは、既存の自己を超えているがゆえに、今の自分の言葉ではうまく表現できない類のものなのだ。ワルシャワに滞在していた私は、まさにこうした揺らぎの中にあったと言ってもいいだろう。
そうした揺らぎの中で、私は少しずつ自分の言葉を紡ぎ出すようにしていた。決して焦ることなく、その瞬間に生まれてくる限りの言葉を書き留めておこうと思った。
それがどれほど些細なことに思えたとしても、自分の内側で重要性を感じたものはできるだけ言葉にしていった。自己を深める揺らぎの中にいることは、一旦言葉を失い、そこからまた既存の自己を超えた新たな言葉を生み出していく。
そのようなプロセスがそこにあり、そうしたプロセスを醸成してくれるのが旅の持つ一つの意義だと改めて思わされた。
顔を見上げると、書斎の窓の向こうには朝日で照らされた明るい世界が広がっていた。時刻は七時半を回り、早朝の優しい太陽の光がフローニンゲンの街に降り注いでいる。
小鳥の美しいさえずりが途絶えることなく規則的に聞こえてくる。その規則的な流れに身を委ねてみる。
規則的な流れの中にある不規則な揺らぎを確かに感じる。小鳥の鳴き声も揺らぎを持っているのだ。
その鳴き声を聞く私の中にも絶えず揺らぎが生じ、自分が耐えなまい揺らぎの中に生きていることを改めて強く実感する。今日も揺らぎの中を生きて行く。
日々の創造活動とは、毎日経験される揺らぎを表現することに他ならないのではないかと思えてくる。揺らぎの中に創造の種がある。そんなことを思わずにはいられない。フローニンゲン:2018/5/9(水)07:30