これまで何度か日記で書き留めているように、私はいつも書斎の中で、外に広がる景色が見れる窓の方を向きながら仕事を行なっている。この窓はちょうど大型テレビぐらいの横広がりの大きさを持っている。
その窓から見える景色の有り難さを先ほどはたと気づかされた。ちょうど朝食のリンゴを食べながら、私は壁に飾っているニッサン・インゲル先生の二枚の絵画作品を眺めていた。
そこでふと視線を書斎の窓の方に向けると、窓の向こうに広がる景色の素晴らしさに静かな感動を覚えた。もちろん、インゲル先生の二枚の絵画は素晴らしい作品である。
しかし、仮に人間の手によって作られた絵画から生み出された美と、窓の外に広がる自然の絵画的な美のどちらを取るかと言われたら、私は後者を選ぶかもしれない。刻一刻と移り変わるその景色には、生々流転する森羅万象の真理が顕現されている。
欧州で過ごす日々が毎日これほどまでに充実しているのは、やはりこの窓から見える景色のおかげなのかもしれないと改めて思う。どんな名画よりも素晴らしい美を自然は私たちに提示してくれる。
それはもしかしたら、音楽に関しても当てはまることかもしれない。自然は絵画的であり、音楽的である。そしてそれらはどこまでも美しい。
また、私たちは自然の美にも負けない内面の美を持っていることを忘れてはならない。外側の美を模倣する形で何かを創造するのではなく、内側の美から形を生み出していくのだ。
そうすれば、内と外の自然はどちらも共存し、さらに包括的な美を私たちにもたらしてくれるだろう。自然の美と内面の美の双方を大切にしたいと強く思う。窓の外に広がる生きた名画は、そのようなことを私に教えてくれた。
ちょうど今、先日作曲した曲を何度も繰り返し聴いている。それはブダペストに滞在していた時に、バルトークの曲に範を求めて作ったものである。
この曲を聴きながら、音楽的なものと絵画的なものとの関係について少しばかり考えが浮かぶ。一昨年の夏に訪れたメンデルスゾーン博物館で目にしたメンデルスゾーンのスケッチ、そして今年の春に訪れたショパン博物館で目にしたショパンのスケッチが静かに記憶の淵から立ち現れてくる。
二人の偉大な作曲家が共にスケッチを愛していたことは興味深い。作曲と絵を描くことの間にはやはり何か見過ごすことのできない関係性があるにちがいない。
音楽と絵画の親和性は以前から感じていることであったが、それがますます確かな感覚になっていく。今、書斎のソファーには楽譜と画集で溢れている。
ソファーの上を芸術専用のスペースにしようと思い立ったのは昨年あたりのことだった。音楽と絵画が、本当に自分の人生と切っても切り離せないものになっていることに気づく。
楽譜や画集を眺めることにより、いつも何かしらのインスピレーションを授かっている。これからは、そうしたインスピレーションをもとに、より一層創造活動に打ち込んでいきたい。
自分で曲を作り、自分で絵を描く。いつの間にか自分の情熱の向かう先が芸術活動になり始めている。
そうした生き方を望んでいた自分がどこかにいたようであり、そうした生き方を望んでいる自分が今ここにいる。芸術活動だけに専念する日を迎えることができるように、今日もまた一つ一つの実践を積み重ねていきたいと思う。フローニンゲン:2018/5/8(火)08:47