一つの週が終わり、新たな週がやってきた。今日は六時に起床し、六時半を迎える少し前から一日の活動を開始した。
月曜日ということもあってか、昨日とはまた異なる時間がフローニンゲンの街に流れているように思う。今日も雲ひとつない快晴であり、早朝の優しい太陽光が赤レンガの家々の屋根を照らしている。
小鳥のさえずりが爽やかな風に運ばれてくる。天気予報の通り、先週の金曜日から日曜日にかけては本当に天気が良かった。
小雨が降ることは一度もなく、雲ひとつない晴れた日が続いていた。それは今日明日と続くらしい。
しかしどうやら、明後日からは小雨が降る日に戻るそうだ。一日を通じて、その日のどこかで小雨が降るというのはフローニンゲンらしくていい。こうした変動性の激しい天気にもすっかり慣れた。
気づけばこの地での生活もあと三ヶ月ほどで三年目を迎える。この二年間の時の流れは緩やかであったが、同時に確かな足取りがそこにあったと思う。
これまでの二年間で得たことは、この人生の中でも極めて重要なものばかりであった。欧州での三年目の生活は、この二年間で得られた経験の総括的な年としたい。
もちろん、また新たな経験を私は積むことになるだろうが、この二年間で得てきたものをさらに深めたいと思う。これまでの経験を深めることそのものが、新たな経験となる。
経験について書き留めていると、起床直後に入れたお茶のティーバッグに付されていた言葉を思い出す。「経験は叡智をもたらす」という言葉がそこにあった。
経験というのはまさに叡智をもたらし得るのだ。いや、諸々の体験が自らの経験にまで真に深められた時、それはそのまま叡智となるだろう。
ということは、私がやるべきことは、やはり既存の体験を経験にまで昇華していく試みだろう。とにかく、この二年間で積むことのできたかけがえのない体験の一つ一つを経験にまで深めていきたい。
それが実現した時、真の叡智に至るだろう。そのようなことを早朝に思う。
フローニンゲンを吹き抜ける早朝の風は本当に心地が良く、小鳥のさえずりも私の心を本当に落ち着かせてくれる。ここしばらく、ずっとバッハの楽曲を聴いているように思う。
スヴャトスラフ・リヒテルとフリードリヒ・グルダの演奏をもっぱら聴きながら書斎で過ごす毎日となっている。今この瞬間も、リヒテルの演奏を聴いている。
演奏に関する技術的なことはほとんどわからないが、毎日10時間以上その演奏を聴いているのであるから、きっと私を捉えてやまない芸術性がそこにあるのだろう。
頭ではわからないが体でわかるもの。あるいは存在だけがわかっているもの。そうしたものを本当に大切にしたい。
そうした体験の中に経験への道がある。今日もリヒテルの演奏だけを聴き続ける。
書斎にいる間中ずっとリヒテルの演奏に耳を傾けよう。そうすれば、徐々に見えてくるものがあるだろう。少しずつ明るみになってくる事柄を主発点にして、また新たな探究に乗り出していきたい。フローニンゲン:2018/5/7(月)06:43