辺りは相変わらず穏やかな雰囲気を醸し出している。雲一つないライトブルーの空、そしてその空を舞う鳥たちの姿が見える。
優しい春の風がフローニンゲンの街を吹き抜けている。そんな日曜日も昼時となった。昼食前に午前中の取り組みについて振り返っておきたい。
午前中は、まず過去の日記の編集に取り掛かった。計画通り、20本ほどの日記を編集し終えた。
そこからは、協働執筆中の書籍の原稿に目を通そうと思ったが、それをせずに、森有正先生の日記に目を通した。しばらく森先生の日記に目を通した後、今度は辻邦生先生のエッセーに自然と手が伸びた。
本書は、辻先生の旅に対する考えや思い出が詰まっているものであり、10年間にわたって書き続けられたエッセーの全てが収められている。それを読みながら、自分がこの欧州で経験してきた旅の思い出が自然と思い出されてきた。
また、これからの旅に思いを馳せるかのように、辻先生のエッセーを食い入るように読んでいた。夕方あたりにでもまた続きを読み進めたい。
日常が輝いているという体験をしたことはないだろうか。ここのところ、日常の輝きが異常なほどに表に露わになっているように知覚される。
それはフローニンゲンが春の季節に入ったことにより、世界が明るくなったことだけに起因しているものではないと思う。きっと自分の中の何かが変わったのだ。
長い冬の時代を抜け、それと同時に、自分も何かから抜け出したのである。新たな自分が誕生したことが、世界を新たに眺めさせることを可能にしているのだ。
日常の輝きは本当に至る所にある。全ての存在の中に固有の輝きがあり、この世界は無数の存在で溢れているがゆえに、輝きはこの世界に遍満しているのだ。そうした輝きを感じているだけで、時間が気づかぬうちに経っていく。
また、そうした輝きによって喚起される無限の内的感覚を思うと、創造行為に絶え間なく従事できるような気がしている。日記の対象として書くことや、曲として表現する対象は本当に日常の至る所に溢れているのだ。
いかに些細に思える事物事象も、その中には観察に資する輝きがある。そしてそれは、形として表現されるにふさわしいほどの価値と尊さを持っている。
そうしたものを表現していかなければならない。そんなことを思った。
今から昼食をゆっくり摂ろうと思う。その後に協働執筆中の書籍の原稿をレビューする。
ある程度仕事が進んだら、そこで一度昼寝をする。昼寝から目覚めたら一曲ほど曲を作りたい。
日常の背後には、儚さが生み出す静かな流れが存在している。最近それを強く知覚している。
興味深いことに、儚さが生み出してるはずのこの流れは永遠性を帯びていることに気づく。だからこれに気づいている時、私はとても安らかな気持ちになるのだ。
儚さの先にある永遠性。そしてそれがもたらす安らかさ。この安らかさの中で、今日の残りの時間を過ごしていきたいと思う。フローニンゲン:2018/5/6(日)12:24