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2473. 欧州での旅のあり方と井筒俊彦先生の書籍


今日の天気の気まぐれさには、気まぐれな私も思わず笑ってしまうほどだ。起床直後に薄い雲が空を覆っていたかと思うと晴れ間が広がり、晴れ間が広がっているかと思った矢先に激しい通り雨が降り、今は再び晴れ間が広がっている。

フローニンゲンの春の動きは往々にして穏やかなのだが、時に力強さを感じる。そして、春の気まぐれさは決して悪くない。その証拠に、私はその気まぐれさを見て思わず笑みをこぼしていたのだ。

先ほど昼食を摂り終え、これから作曲実践を行った後に論文の執筆を行っていく。昼食前に“Theoretical Knowledge (2005)”の一読目をようやく終えることができた。

ブダペストの古書店で見つけたこの書籍は本当に傑出した内容を持っていた。当然ながら、一度をしただけでは全ての事柄を深く理解することはできない。

科学哲学について、とりわけ科学的な知というものがどのようなプロセスとメカニズムで体系的な発展を遂げていくのかを今後考える時、この書籍を必ず参考にするだろう。先日の中欧旅行の際に本書と出会うことができたことに本当に感謝をしている。

欧州で迎える三年目は、積極的に旅に出かけたいと以前の日記に書き留めていたように思う。その旅のうち、半分は文明の発達した都市で時間を過ごし、もう半分は自然の中で時間を過ごすことになるかと思う。

仮に都市で時間を過ごす際には、ぜひとも滞在先の都市の古書店を巡るようにしたい。もちろん、その街を代表する美術館にはできるだけ足を運ぼうと思うが、今は美術作品よりも、ある一人の人物に関する資料が展示された博物館から得るものの方が多く、古書店での出会いの方に魅力を感じている。

また、教会があるような都市に行くのであれば、そこで行なわれているオルガンコンサートにできるだけ参加したいと思う。ブダペストの聖イシュトヴァーン大聖堂で聴いたオルガンの音が今でも忘れられず、オルガンが生み出す音の大伽藍の心象イメージが今も自己の存在の内側に鮮明に残っている。

旅の区分は文明と自然の二つであり、仮に両者が見事な調和を成しているような場所が存在するのであれば、それはなお望ましい。文明の発達した都市では、自分の存在に共鳴するごく限られた博物館と美術館だけを訪れ、あとは教会で音楽を聴くか街の古書店を巡る。

一方、自然の中で過ごす場合には、ひたすら観想的な時間を過ごすようにしたい。中欧旅行を終えたばかりだが、欧州で過ごす三年目に訪れる旅について少しばかり思いを馳せていた。

昼食前に“Theoretical Knowledge (2005)”を読み終えた後、それをどこに置くかを考えていた。すでに本棚には本が一杯になっており、書斎のソファーや小さな食卓の上にも書籍や論文が積み重なっている。

本書はとても重要な本であるため、本棚にある既存の書籍と入れ替えようとしていた時に、偶然にも井筒俊彦先生が執筆された二冊の書籍に目が止まった。どちらも井筒先生が英語で執筆されたものであり、そのうちの一冊である“Toward Philosophy of Zen Buddhism (1982)”に思わず手が伸びた。

随分と前に本書を一読していたが、それからどれくらいの時間が経ったかを忘れてしまうほどだった。中身をざっと眺めてみたとき、本書をもう一度じっくり読み進める必要が強くあることを直感的に理解した。

人間発達に関する科学的な探究を進めていけばいくほど、人間存在を思想的かつ哲学的に探究していくことの大切さに気づく。本書の中の一節に、「音楽は私たちの存在の全ての場を満たす」という記述がある。

これは大変興味深い記述であると同時に、この記述が意味することの深さには思わず身震いしてしまう。この夏、井筒先生が執筆した本書をゆっくりと読み進めたいと思う。それを行う必然性と意味が私の中にあることを知っている。フローニンゲン:2018/4/26(木)13:02 

No.991:A Path of A Rainbow

I was perceiving kaleidoscopic inner images before going to sleep last night.

It seems to me that a path of ever-changing perceptual inner images may exist. Groningen, 08:24, Saturday, 5/19/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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