top of page

2460. 開かれていく流れ


たった今、協働プロジェクトのミーティングが終わった。新たな年度を迎え、成人発達理論に基づくプログラムを企業社会に提供することが実現し、感慨深い気持ちに包まれている。

この一年間の歩みや取り組みは全く無駄ではなく、そうした小さな積み重ねがあったからこそ、それが実現されたのだと思う。自分が関与させていただいたプログラムが形となって世に出ることの有り難さを強く感じる。

人は創造を通じて自己を深め、創造によってこの世界に関与していくのだということを再認識する。今回のプログラムが世に出ることを新たな出発点とし、今後もこの世界に形として何かを提供していきたいと思う。

絶え間ない創造とそれを通じた絶え間ない関与。自分にできることはそれだけであり、それを行うことが自分の人生の大きな望みである。

欧州で過ごす三年目は、創造と関与をこれまで以上に激しく行っていきたい。その激しさが静けさに変容するところまで創造と関与を続けていく。

今日これから取り掛かる論文の執筆も、立派な創造行為であり、この世界への関与である。そのように捉えると、論文の執筆も一つ一つ誠意を込めて行わなければならない。誠意に欠け、とかく浅薄な仕事をしてしまいがちな私は、特にその点を注意しなければならない。

中欧旅行を終え、フローニンゲンに戻ってきてから一日が経った。一つの旅が終わったと感じるのと共に、それはまた新たな始まりを意味していることにも気づく。

これはいつも旅をするときに感じる不思議な感覚である。一つの終わりは、新たな一つの始まりなのだ。

終わりの中には始まりが内包されていて、その新たな始まりには終わりが内包されている。始まりと終わりのこの入れ子構造に気づくことができるだろうか。

この入れ子構造について思いを馳せるとき、もしかすると始まりも終わりもないということに気づかないだろうか。あるのは一つの大きな全体としての流れである。

その流れには切れ目は本来なく、切れ目を設けるのは私たちの認識だ。人生が大きな流れであり、始まりも終わりもない道であるということの意味が少しずつ開けてくる。

中欧を訪問した思い出が今静かに蘇ってきている。昨日は、その中の憐れみ深い側面が突如として浮かび上がってきた。

今回の旅には華やかさだけではなく、慎しみ深いものもあったのだ。今回の中欧旅行はどこか敬虔な旅であったように思う。旅とはやはり自己を深めてくれるものなのだということがここからも分かる。

この世界の未知の土地へ出向き、そこで出会うものたちを敬い慈しむ気持ちを旅はもたらしてくれる。そうした気持ちが自己を今よりも少しばかり深い場所へ連れて行ってくれる。

外面世界を旅することは、内面世界の旅をすることと繋がっており、自己の内側に潜んでいた新たな真実に出会うことを促してくれる。物理的な世界を旅することと、内面世界を旅することの関係性について考えをより深めていきたい。

書斎の窓を開けると、そこから小鳥の鳴き声が聞こえてきた。その鳴き声に耳を傾けていると、ブダペストで目の当たりにしたドナウ川の眺望が鮮明に思い出された。

ドナウ川の果てしなく開かれた眺望と同様に、自分の人生がより一層開かれていくことを祈る。人生は開かれていく流れなのだ。フローニンゲン:2018/4/23(月)11:20 

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page