「こんな音楽がこの世に存在するのか・・・」と思わずにはいられないほどの体験をした。時刻は夜の十時半を回り、普段であればもう就寝している時間だ。
しかし今日は、どうしても就寝前に書き留めておきたいことがある。つい先ほど、ブダペストで最も美しい教会の一つである聖イシュトヴァーン大聖堂のパイプオルガンコンサートに参加してきた。
この機会を逃したくはないという思いから、私は一番良い席のチケットを予約し、当日のコンサートに参加した。もしかすると、私はこのような立派な教会に初めて足を踏み入れたかもしれないと思った。
確かに、一昨年にドイツを訪れた時、立派な教会をいくつか訪れた。だが、その時にはオルガンコンサートに参加したわけでもなく、その場の雰囲気を視覚のみで体験しただけであった。
それらの教会も荘厳であったことは間違いないが、聖イシュトヴァーン大聖堂の中の装飾は傑出した美を顕現していた。コンサートの開始40分前に会場に着いたため、まだ他の参加者がそれほど来ておらず、一等席の中でも自分なりに最も良いと思う席を確保することができた。
他の観客の後頭部が視界に入ることを避けるため、私はオルガン側の最前列の席に腰掛けた。しばらくしてコンサートが始まると、オルガンが発する音の大伽藍に私は仰天した。
大聖堂の中を音の大伽藍が駆け抜けていく。同時に、荘厳なオルガンの音色が私の背筋を上下に流れていくのを何度も感じていた。
オルガン奏者のMiklos Telekiの演奏に私は釘付けとなっていた。ある時から、彼の演奏の手元を見るのではなく、もはや目をつぶって心の眼で音の流れを捉えたいと思った。
目を閉じてみると、そこには夢見の意識で時折現れる心象イメージの渦が立ち現れているのに気づいた。オルガンの音色が生み出す大伽藍が変幻自在に変化するのに応じて、心象イメージも万華鏡のように変化していく。
そのイメージと音の世界に私は完全に引き込まれていた。オルガンの独奏だけではなく、合間合間にフルートの演奏があり、ハンガリーで最も有名なオラトリオ歌手の一人であるKolos Kovátsによるシューベルトのアヴェ・マリアは本当に素晴らしかった。
正直なところ、これまで私が聴いていた音楽は一体何だったのかと思わせるような音楽体験がそこにあった。大聖堂に鳴り響く荘厳かつ流麗な音の流れは、天使と悪魔の双方を私たちに見せることができる。
無音世界の対極の有音世界における音の極致としてパイプオルガンの音色があるように思えて仕方なかった。その音色は、聴衆に地獄の世界を覗かせることも可能にし、天国の世界に連れて行くことも可能である。
さらには、私が得た最も大きな気づきは、「このような音色が存在するのであれば、音楽を通じて即身成仏することが可能である」というものだった。その他にも今すぐに書き留めておきたいことがあるが、とにかく今すぐに書き残しておきたいことだけを今夜は書き留めることにし、明日の朝また今日の音楽体験から得られたことを書き残しておきたい。
今朝の胸騒ぎはもしかすると、今夜の音楽体験を予知していたのではあるまいか。
<プログラム>
J・S・バッハ: 協奏曲 ニ短調(原作ヴィヴァルディ) アレグロ、アダージョ、アレグロ
T・アルビノーニ:アダージョ
A・ストラデッラ:ピエタ・シニョーレ
W・A・モーツァルト:アンダンテハ長調 K 315
F・シューベルト:アヴェ・マリア
F・リスト:バッハの名による幻想曲とフーガ
G・ビゼー:アニュス・デイ
J・S・バッハ:管弦楽組曲第2番ロ短調 BWV 1067
J・S・バッハ:トッカータとフーガニ短調 BWV 565
ブダペスト:2018/4/19(木)22:57
No.980:Affable Flow of Time
I feel at this moment as if I were in the affable flow of time.
I suppose that we can find the tenderness in time by virtue of the essence of our souls that is loving-kindness. Groningen, 08:28, Friday, 5/11/2018