六時半を迎えたフローニンゲンは、すっかりと明るい世界となった。確かに少しうっすらとした雲が上空を覆っているが、それでもこれから朝日がより鮮明になるだろうという予感がする。
今日は幸いにも雨がほとんど降らないようだ。昨日の天気予報では、ちょうど最終試験に向かう最中に雨が降る予報となっていたが、仮に雨が降るとしてももう少し遅い時間に雨がわずかばかり降るようである。
雨が降るとすれば試験中の時間帯であり、試験が終わる頃にはまた晴れとなり、今日の深夜にまた少し雨がぱらつくようである。明日からはワルシャワとブダペストへの旅行が始まる。
両都市のこれから一週間ほどの天気予報を確認すると、快晴続きであることが分かり、とても嬉しく思う。晴れであっても、雨であっても、それは自然の恵みであることに違いはない。
そうは言っても、旅の期間中に心地良い快晴が続くことは、これまでの長い冬の時期を考えると、やはり私を高揚させてくれるものがある。今回の旅行の最中に天気に恵まれそうであることに対して、感謝の念を持つ必要があるだろう。
今日の午後に、フローニンゲン大学で受ける最後の試験があることはすでに日記に書き留めた。振り返ってみると、フローニンゲン大学で過ごした二年間においては、随分と厳格な科学トレーニングを受けたように思う。
科学者として研究活動を行うための強固な基盤を構築できたことはとても有り難いことであった。当然ながら、これからも人間発達という現象を中心にした科学的な研究を続けていきたいと思う。
しかし一方で、やはり私は依然として哲学に強い関心があるようだ。特に最近はその関心が強くなってきている。
米国のジョン・エフ・ケネディ大学に在籍していた頃は、人間発達を科学的な観点で探究するというよりもむしろ、哲学的な観点で探究を進めていたと言えるだろう。確かに、発達測定を活用した研究などを行ってはいたが、フローニンゲン大学で受けたトレーニングと比較してみると、当時のそれを科学的な研究と呼ぶことはあまり妥当ではない。
この二年間、密に練られた科学トレーニングを積むことができたことは幸いである。一方で、ここからは再び哲学的な観点で人間の発達を捉えていくことにも力を注いでいきたいと思う。
仮に秋から米国の大学院に移ることができたら、そこでは自分の探究のみを行える環境がある。何か決められたコースを受けることが要求されているわけではなく、受講したいコースがあれば好きなように聴講できる。
自分の関心に基づくコースを聴講しながら、自らの探究をまた前に進めていきたいと思う。今のところ、確かに聴講する予定のコースは、応用数学科の数理モデリングに関するコースや統計学科の非線形時系列データ分析に関するコースであったりと、科学的な内容のものがあることは確かだ。
しかし、それ以外にも、芸術と人間発達に関する哲学のコースなど、思想的な内容を持つものも聴講しようと思う。秋からの探究生活においても、人間発達をテーマにした科学的な研究を行う予定になっているが、このテーマを哲学的な観点で探究していくことを忘れないようにしたい。
そのために、音楽や芸術の観点から人間発達を捉えていくことが重要になり、教育哲学の観点から人間発達を捉えていくことが重要になる。これまでの自分にはない領域から人間発達に関する自らの思想をより広く深く育んでいき、これまで馴染みのある領域に関してはより一層その哲学的な観点に踏み込んでいきたいと思う。
発達科学、システム科学、ネットワーク科学の背景にある哲学的なテーマは無限にあり、その思想世界はとても奥深いのだから。フローニンゲン:2018/4/12(木)06:49