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2393. 高度な発達段階の言語特性


気がつくと、今日もいつの間にか昼の時間帯を迎えていた。先ほど昼食を摂る際に、いつもよりもゆっくりと時間をかけて食事をしようと思う自分がいた。

とかくここ数日間は研究で頭が一杯になることが多く、それを引きずる形で食事中にもあれこれと考えが及び、食事にきちんと意識を向けることができていなかったように思う。日々の様々な時間帯で研究について考えてしまうのはある意味しょうがないことであり、それが時に研究の進展に有益であることは確かだが、適切な休息というものを自己に与えることはより一層大切だ。

今日の昼食は、食事をゆっくりと味わうことを意識し、今ここに意識を集中させるようにした。昼食を摂った後、今日の午前中に行われたオンラインミーティングについて振り返っていた。

今日は連続して二人の方と対話をさせていただいたのだが、二人の話からは得るものが非常に多く、同じ時間を共有させていただいたことに有り難さを感じている。二人の方の話を聞きながら、いくつか気づきがもたらされた。

一つは、自分自身がある意味文化人類学者のような形でこの世界を探究しているという気づきだ。実際に調査現場に出向き、そこで自ら体験を積むことによって探究を進めていくエスノグラファーとしての側面を自分が持ち合わせていることに気づかされたのである。

今こうして欧州の土地で生活をする中で様々な気づきを得ているのも、おそらくそうしたエスノグラファーとしてのあり方が自分の中にあるからだろう。実際に自分が体験したことを再度自分の存在を通して検証し直し、考えを深めていくことを行っていく。そうした実践を通じて深まった知見を世の中に自分の言葉として共有していくことの大切さを改めて思う。

今回のオンラインミーティングも人との縁によって実現したものである。今私は、様々な協働プロジェクトに参画させてもらっているが、そうした仕事をこちらから募集したことは一度もない。

実際に、そうしたある種のコンサルティングの仕事に関するホームページを設けていない——厳密には、それは形として一応存在しているが、この四年間私ですらも見たことがなく、いっそのこと閉じようと思っている。これからも、できるだけ人との縁を基にした形で社会に関与していく仕事を行なっていきたいと思う。

最後に、今日のオンラインミーティングを通じて得られた気づきは、高度な発達段階に到達している人たちの特徴として、言語感覚の変容、すなわち自然言語を超えて、よりシンボル的な言語を活用した思考形態が獲得されていくことに改めて気付かされた。

とりわけ、キーガン、クック=グロイター、トーバートなどが対象としている発達領域においては、高度な発達段階の人たちが用いる言語特性が明らかになっている。その際たる特徴は、内的・外的世界の現象をメタファーを活用しながら意味を構築していくというものがある。

特に、外的世界の現象というよりも、自分の内側で生じている微細な現象を巧みに一つのメタファーとして表現していくことが可能になるという特徴がある。今日は実際に、二人の方との対話の中で、こちらが唸ってしまうぐらいの極めて洞察に富むメタファーがいくつも出てきたことに驚かされた。

しかもそれは、単に内的現象をメタファーとして表現したことに留まらず、表現された言葉に潜む意味世界が極めて深いものだったのだ。上記の発達論者が提唱する発達段階5を超えていく際に見られる言語上の特徴としては、自然言語の限界を認識し、その限界を乗り超えていくための一つの手段として、高度な意味世界を表現するためのメタファーを生み出すことに対して自然言語を巧みに活用することができるようになることが挙げられる。

今日は協働者の方々との対話を通じて、既存の発達理論が述べていることの正しさを身を思って経験するような場に立ち会うことができた。そうした場に立ち会うことができた幸福さをこの瞬間にも感じている。フローニンゲン:2018/4/9(月)13:33 

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