top of page

2361. 作曲に潜む揺らめく一本の線:天球の音楽


一日の仕事を終え、そろそろ一日の楽しみである作曲実践に取り掛かりたいと思っていた矢先、どうも構成的な意識にいる自分に気づく。「カチッ・カチッ」と思考空間の中で音が聞こえてくるかのようだ。

それは、内側の中で何かが形になろうとするときに発せられる無音の有音である。今この瞬間に、おそらく自分の中で何かを言葉として形にしたいのだと思う。

そうした衝動に蓋をする形で作曲実践に取り組もうと思ったのだが、やはり形にするべきものを言葉として形にしておこうと思った。とはいえ、何を形にするべきかが全くもって明確ではない。

その様子はどこか、作曲において最初の一つの音符を置く時の感覚と似ている。作曲において、最初の一音はいつも未知であり、その一音から全てが始まる。

そして不思議なことに、最初の一音から派生する音は無数にあるはずなのだが、それが終わりの地点まで一本の揺らめく線で最初から繋がっているかのような感覚がする時がある。私はまだ作曲を学び始めて数ヶ月であるため、始点の作り方、終点の作り方、そして始点から終点に向けたプロセスの構築について分からないことだらけである。

しかし、これまでの作曲経験を振り返ってみると、どこか上記のような体験をする時があるのは事実だ。最初の一手を打った時、その一手は一つの音符という形を伴って有音となる。

その音以降は基本的にまだ形になっていないから無音と考えられるが、実際にはもうそこに音があるのだ。だからそれはもう無音かつ有音なのだ。

作曲プロセスというのは、どこか決定論的カオスの様相を帯びているのかもしれない。最初の一手からランダムに音が生み出されていくのではなく、間違いなく非線形的なプロセスを経ながら音が生み出されていくのだが、そこには規則性という一本の揺らめく線がある。

「あぁ、自分が心眼で見ていた線はそれか」と思った。作曲に潜む隠れた側面が徐々に浮かび上がってくるにつれ、過去の偉大な作曲家のみならず、作曲という行為そのものの奥深さに畏怖の念を持つ。

音を作曲という営みとして最初に生み出した人間に対する感謝の念が尽きない。おそらく、人類の歴史を遡ってみれば、原始人でも音を楽しむことができたのかもしれない。

しかし、それを作曲という営みまで高めたのは文明が生まれた時期の人間たちだろう。音楽史については全く知識がないので何とも言えないが、作曲という行為を生み出したのは古代エジプトや古代ギリシヤの人たちだろうか。

以前にライデンの博物館を訪れた際にはそのあたりの問題意識が薄かったため、もしかしたら音楽に関する資料を見落としていた可能性がある。随分と前に読んだ音楽理論の中に、古代ギリシャのピタゴラスが「天球の音楽」を探究していたことを知った。

やはりこのあたりの時代に作曲という営みが生まれたのかもしれない。ピタゴラス、およびプラトンを含めた古代ギリシャの思想家の音楽理論についてまた学びを深めていこうと思う。

依然として構成的な意識、つまり内的感覚を一つの形としてまとめ上げ、それを言葉や曲として創造していこうとする意識が続いている。就寝まで後二時間弱あるため、ここから十分に作曲実践に取り組むことができる。フローニンゲン:2018/4/2(月)20:09 

No.936: The Third Day at Warsaw

The third day to stay at Warsaw began. It is fine weather today, too.

I can see the beautiful sunshine up in the sky.

The life history of Chopin that I learned yesterday at the Fryderyk Chopin Museum inspired my inner senses.

I convince myself that today is also a meaningful and precious day to deepen my life and enrich the quality of my life. Warsaw, 08:25, Sunday, 4/15/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page