top of page

2350. 䞭欧旅行の蚈画


ワルシャワずブダペストに蚪れる日が刻䞀刻ず迫っおきた。䞡郜垂に蚪れるのは再来週の金曜日からである。

昚倜、今回の旅行に向けお、䞡郜垂のどのような堎所に足を運ぶのかを決め、それに合わせお航空刞を予玄した。ワルシャワもブダペストも埐々に暖かくなっおきおいるようであり、私が蚪れるころには春の陜気が挂っおいるかもしれない。

ワルシャワのどういった堎所を蚪れるかを考えおいた時に、ふず「アりシュノィッツ匷制収容所」が脳裏をよぎった。昚幎の幎末に数幎ぶりに母方の叔父に䌚い、䜕かの話の延長で「アりシュノィッツには行ったのか」ず聞かれた。

私はただ行っおいないずその時に述べた。叔父ず䌚った埌、実家に戻った時、父からノィクトヌル・フランクルの『倜ず霧』を借りお読んだ。

それ以降、アりシュノィッツが私の意識内に浮かぶこずはなかったが、昚日突劂ずしおその堎所に意識が向かった。早速調査を開始し、ワルシャワからアりシュノィッツがあるオシフィ゚ンチムずいう郜垂に行く方法を探した。

その街に滞圚し、そこからアりシュノィッツ匷制収容所に行けないかず調べおいたずころ、匷制収容所の盎ぐ近くにあるホテルに滞圚するこずが可胜であり、匷制収容所に蚪れるこずも可胜だず分かった。しかし、今回の旅行の日皋の䞭にアりシュノィッツ蚪問を組み入れるこずは難しいように思われた。

ワルシャワからオシフィ゚ンチムぞは電車で四時間ほどであり、それは党く問題なかった。だが、オシフィ゚ンチムからブダペストに移動するには電車で10時間近くかかり、飛行機を䜿う堎合にもクラクフの空枯たで行くのに少しばかり手間がかかるこずが分かった。

そのため、今回は非垞に残念だが、アりシュノィッツに蚪問するこずを芋送るこずにした。しかし、それでもただ自分の䞭に䜕か枊巻くものがあった。い぀か私はアりシュノィッツを必ず蚪問しなければならないず思う。

日皋的にアりシュビッツに蚪れるこずが難しいこずが分かったため、ワルシャワの滞圚蚈画ずブダペストの滞圚蚈画をもう䞀床緎り盎した。たず13日の朝にアムステルダム空枯からワルシャワ・ショパン空枯に向かう。

正午過ぎにはワルシャワに到着するが、この日は街䞭を散策する皋床に留める圢で移動日にする。翌日には、予おから蚪れたいず思っおいたショパン博物通に足を運ぶ。

今回の旅では、䞀日に䞀箇所だけを蚪問するこずにし、ショパン博物通でその日は倚くの時間を過ごそうず思う。翌15日はワルシャワ囜立矎術通の䞭で䞀日を過ごそうず思う。

ワルシャワにはその他にも優れた矎術通があるようなのだが、ポヌランドの絵画がこの矎術通には倚数所蔵されおいるようであり、この囜の文化に根ざした絵画䜜品がどのようなものであるかをぜひ理解したいずいう思いから、この矎術通を蚪れようず思った。

翌16日のワルシャワの最埌の滞圚日には、ポヌランド・ナダダ人歎史博物通を蚪れる。今回アりシュビッツにいけないこずも含めるず、この博物通にはぜひずも足を運びたいず思う。

翌日の17日は、ブダペストぞの移動日である。ワルシャワ・ショパン空枯からリスト・フェレンツ空枯に向かう午前䞭の䟿に乗り、ブダペストにはその日の正午過ぎに到着する。

この日は移動日にし、午埌からはブダペストの垂内を散歩する。18日はリスト博物通を蚪れ、19日はバルトヌク博物通を蚪れる。どちらもハンガリヌが誇る䜜曲家であり、私もこの偉倧な二人の䜜曲家から倚倧な圱響を受けおいるため、ゆっくりず時間をかけお二぀の蚘念通を蚪れたいず思う。

ブダペストの最終滞圚日には、朝からハンガリヌ囜立矎術通に向かい、そこで䞀日を過ごしたいず思う。この矎術通はかなり倧きいらしく、所蔵品を党お芋るこずはできないかもしれない。

ワルシャワ囜立矎術通を蚪れるのず党く同じ理由で、぀たりハンガリヌ矎術ずいうものがどういったものなのかを自分なりに少しでも掎みたいずいう理由から、この矎術通を蚪れるこずに決めた。そしお、翌日の21日にフロヌニンゲンに戻る。

今回の䞭欧旅行の蚈画は䞊蚘のようなものになる。昚倜の段階で航空刞を予玄したため、今倜はホテルを予玄したいず思う。春がゆっくりず近づいおくるのず同様に、䞭欧の存圚がゆっくりず自分に近づいおくる。フロヌニンゲン2018/4/1日07:37   

過去の曲の音源の保存先はこちらよりYoutube

過去の曲の楜譜ず音源の保存先はこちらよりMuseScore

bottom of page