小鳥のさえずりが聞こえる。昼食後、書斎の窓から外の景色を眺めると、平和な土曜日の世界がそこに広がっていた。
家族連れで空き地に咲く花々を眺めている人たち。ポカポカとした陽気を浴びながら犬の散歩をしている人の姿を見かける。数日前の天気予報とは異なり、今日は一日中晴れのようだ。
晴れの日に日記を書き、雨の日に日記を書き、雪の日に日記を書く。書くことと生きることが一体となった日々が静かに進んで行く。
午前中、「デジタルラーニングと学習環境」のコースで取り上げられている論文をほぼ全て再読した。あと一本だけ論文が残っているが、それも今日中には読み終わるだろう。
再読時には、重要な箇所をまとめながら読み進めていった。知識というのは、このようにして知識対象と何度も接する過程の中で徐々に構築されていく。
文献を読む際には、何度も絵の具を塗るようにした読み方が重要になる。繰り返しその領域を歩くことによって、徐々に土地勘が養われていくのである。そんなことを改めて思わせてくれる午前中であった。
論文を読むことに並行して、過去の日記を少しばかり編集していた。日記を継続して書き留めることの無上の意義を改めて感じた。
現在編集を進めているのはちょうど今から一年半前の日記なのだが、仮にそれらの日記がなければ、その時のことを今思い出そうと思ってもなかなかできるものではない。当時の自分が何に関心を示し、どのようなことをどのように考えていたのか・感じていたのかを掴む意味で、日記を書き留めておくことは本当に有益である。
そして何より、過去の日記を読むことは単に過去の振り返りを行うのみならず、間違いなくそれは現在の私にフィードバックをしてくる。つまり、過去の日記は新たな思考や感覚を触発する媒介的存在となり、これまでにはない多くの気づきをもたらしてくれるのだ。
そうした気づきに対して、さらに追記をする形で日記を編集していった。今日は比較的自由な時間があるため、午後からも引き続き過去の日記を編集していきたい。
今朝方に日記を書き留めている時、たいてい一つの日記を20分から30分くらいの時間をかけて執筆していることに気づいた。これまで執筆時間については全く意識しておらず、書きたい時に書きたいだけ書くということを行っていた。
とはいえ、日記を書くことが習慣になってからは、必ず起床直後に日記を書き、午後と夕方や夜にも日記を書くというように、日記を書く時間帯というのは規則性がある。一つの日記に関して20分から30分くらいの時間をかけていることが分かり、ここからは一つの曲もそれくらいの時間で生み出せるようになりたいと思う。
日記と同様に、曲も学術的な作品ではなく、それは存在の克明な記録を第一目的とする。日々の内的感覚を曲として形にする際に、それが20分から30分くらいで一つのまとまりとして生み出すことができれば理想である。その実現に向けて、今日も作曲実践に打ち込んでいきたい。フローニンゲン:2018/3/31(土)13:37