夕食を摂り終え、これから一日を締めくくるべく、小さくライフワークを前進させていく。夕食前に、作曲上のフーガの技法に関する専門書を読み進めていた。
早朝に書き留めていたように、実践に資する知識体系をいかように構築していくかを意識することが今の自分には特に求められており、そのあたりに気をつけながらこの書籍を読み進めていった。
知識のための知識というのは無益でしかなく、知識というのはとにかく実践に資する形で獲得していくことが重要である。そうした意識を強く持ちながら、普段目を通してしまいがちな些細な事柄に囚われることなく、実践につながる本質的な記述を丹念に読み進めていった。
この書籍を読む前に、少しばかり作曲実践を行っていた。具体的には、モーツァルトが六歳の時に生み出した作品に範を求めていた。
正直なところ、最初に楽譜を開き、今日はこの曲を参考にしようと思った瞬間には、この作品がいつ作られたものなのかを気にすることはなかった。この作品を参考にする前に、一度実際に聴いてみようとしたところ、作品の制作年が書かれており、モーツァルトの生誕年から逆算すると、この作品が六歳の頃に作られたものであることがわかったのである。
曲を聴き、実際にその楽譜を眺めた時、これを六歳の時に生み出すというのは、やはりモーツァルトが傑出した才能の持ち主であったことがわかる。同時に、モーツァルトといえど、この作品段階から作曲家としての歩みをスタートせざるをえなかったのだということもわかる。
つまり、この時期の作品は早熟の才能の閃きが具現化されているが、それは決して熟達した作曲家が具現化させる表現物ではないということである。モーツァルトを含め、過去の偉大な作曲家の作曲技術の発達過程というのは、ぜひとも着手してみたい研究テーマである。
有り難いことに、楽譜というデータがすでに大量に存在しており、それをどのように定量化するべきかの方向性についても見えているため、あとはいつどこで本格的にそうした研究に乗り出していくかだけだろう。
もし仮に、この秋から米国の大学院に客員研究員として所属することになれば、それをきっかけとしてぜひともこうした研究に着手したい。その際には、科学的に作曲技術の発達プロセスを研究し、彼らの作曲思想を哲学的に研究することも行ってみたいと思う。
今日はこれから「トレンド除去変動解析」の論文を少し読み進め、それが終われば就寝に向けて、再度作曲実践を行う。
科学、哲学、芸術の実践的探究に明け暮れる日が今日も終わりに近づき、再び同様の明日がやってくる。フローニンゲン:2018/3/1(木)19:32
No.825: “Art and Artist: Creative Urge and Personality Development (1932)”
I completed reading Otto Rank’s “Art and Artist: Creative Urge and Personality Development (1932),” which was very profound to me.
It encouraged my creative activities, and it gave me a tremendous amount of inspirations.
I’ll read it again in my future. Groningen, afternoon, Saturday, 3/3/2018