今朝方の夢の中で不思議な体験をした。これまで何度か体験したことがあるのだが、夢の中の身体が強烈な光に包まれるという体験である。
夢の中の私は、今の自宅と同じような寝室のベッドの上に横になっていた。すると突然、足先から頭のてっぺんにかけて光が上昇し、身体全体が強烈な光に包まれたのである。
とりわけその光は、頭の部分で強く知覚された。白く薄黄色の光が特に頭の部分を包み込んでいた。
そこからさらに不思議な体験は続いた。夢の中の身体が光に包まれた後、肩甲骨の左側の背中の一箇所を強く押す力を感じた。
それは誰かが背中のその場所のツボを押し込むような感覚であり、それはしばらくの時間続いた。背中の一箇所を押し込む不思議な力に気付いていると、その箇所は心臓の裏側であることにふと気づいた。
背中の一箇所から心臓にかけて向かう力。今から考えると、それは背中の外から背中の一点に向かい、そして心臓を貫く形で生じていた力なのではないかと思う。
力の正体とその目的が何なのかはわからないが、背中の一点を押す力が収まった後、背中のその箇所が楽になっているような気がした。ただし、夢の中で身体が光に包まれている最中、それよりも奇妙な体験をその他にもした。
まず一つは、全身が光に包まれ、背中の一点を押す力が生じ始めた時、その力が背中の中に入っていくに応じて、少女の悲痛な声がどこからか聞こえてきた。それは何か助けを求めているような声だった。
その少女の声は私の耳に入り、さらにそれは背中を押す力の中にも混入した形で自分の身体に向かってきた。名の知らぬ少女の苦痛な声は一体どこから聞こえてきて、一体何を私に伝えようとしていたのか、それは今も定かではない。
身体全体が光に包まれ、背中を押す力が去った後、どこからともなくモーツァルトの音楽が聞こえてきた。そこで起きたもう一つの体験は、モーツァルトの音楽が先ほどの少女の声とは違った形で自分の身体に入り込んできたことだ。
モーツァルトの音楽は、身体を包み込む光のようにまずは私の身体全身を包んだ。その時までは、確かに私はモーツァルトの音楽を聴いているという感覚があったのだが、そこから奇妙な身体感覚を感じた。
自分の身体がモーツァルトの音楽になったのである。モーツァルトの音楽を聴く主体はそこにおらず、ましてや音楽を聴くという感覚も働いていない。
そこにあったのは、モーツァルトの音楽と一体化した自分の身体だけであった。言い換えると、そこにあったのは、自分の身体というモーツァルトの音楽だけであった。
身体全体がモーツァルトの音楽と完全に合致した瞬間、私の意識もまた完全にモーツァルトの音楽となっていた。単純な話、そこでは意識が生み出す表象世界が全てモーツァルトの音楽で満たされたものになっていたのである。
自分の身体が光に包まれ、強烈な光を特に頭の部分で感じることは時折生じる現象である。しかし、今回のように背中を押す力や、モーツァルトの音楽と身体および意識が一体化する体験を伴うことは初めてのことであったように思う。
夢の中の身体は、サトルボディに分類されるものだが、サトルの身体とサトルの意識下で起こっている現象は未だ解明されていないことが多々あるように思う。フローニンゲン:2018/2/22(木)06:38
No.793: ?!?
A day like “?!?” is sometimes inevitable in our life.
Also, there is a day in which we want to think it as ?!?.
That is the intrinsic nature of our daily life. Groningen, 18:26, Thursday, 2/22/2018