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2067.『ティール組織』について:組織開発への発達理論適用の注意点


先日お世話になっている編集者の方から一通のメールが届いた。どうやらここ最近、ビジネス書を扱う大手の出版社は「組織開発」の領域に着目をしているらしく、関連書籍の出版に向けて現在力を入れているそうだ。

私も組織開発には関心を持ち続けているが、今は自分の研究と日本企業との協働に専心する時期であるため、組織開発に関する書籍の出版は待ってもらうことにした。

組織開発は経営学の言語体系で語られることが多いだろうが、ここ最近は発達心理学、とりわけ成人発達理論の観点から語られるようになってきている。組織開発を複数の学問領域から議論していくことは非常に有益だと思われる。

一つ一つの学問領域には、開示される真実が異なるため、複数の領域から組織開発を捉えていくことは、その理解と実践を豊かにするだろう。そうしたことを踏まえると、発達心理学の観点から組織開発が語られるようになってきているというのは、日本の企業社会にとって意味のあることだと思う。

私はそうした潮流を生み出すような大変意義のある仕事をしている代表的な出版社は英治出版さんだと思う。成人発達理論の大家であるロバート・キーガンの書籍を今から五年前にいち早く出版したことを皮切りに、近年も立て続けに成人発達理論に関する良著を翻訳出版されている。

日本の企業社会に発達心理学の言語体系を紹介してきた功績は非常に大きなものがあると思っている。また、それらの書籍を翻訳した翻訳者の方たちの貢献も忘れてはならないだろう。

ただし、発達心理学の枠組みが企業社会に認知され始めているこの時期において、私たち読者側に求められていることがあるということを少しばかり手短に書き留めておきたい。組織開発へ発達理論を適用する際にはいくつもの注意点がある。

私はこれまで、『ティール組織』で言及されている成人発達理論を八年ほど探究しており、今はオランダのフローニンゲン大学でその研究を続けている。私が最初に成人発達理論を本格的に学んだのは、退職後に留学した米国のジョン・エフ・ケネディ大学でのことである。

その時に私は、『ティール組織』で適用されているドン・ベックのスパイラルダイナミクスモデルやケン・ウィルバーの理論を熱心に学んでいた。

とりわけ、個人や組織の発達を議論する際に気をつけなければならないのは、発達というものが私たちが思っている以上に長大な時間を要するということである。個人の発達はさることながら、組織の発達となれば個人以上に発達の速度は緩やかである。

成人発達理論に関する一般書を読む際に気をつけなければならないのは、そこに記述されている段階モデルを眺めた時、次の段階に移行することが速やかになされると誤解しないことである。

例えば、『ティール組織』で適用されているドン・ベックのスパイラルダイナミクスモデルを用いて日本の集合意識の発達過程を考えた場合、少なくともこの数十年間はアンバー段階のままで留まっている。

さらに少し時代を遡ると、軍国主義がはびこっていた戦時下においては、レッドとアンバーの複合段階に日本の集合意識はあったであろう。それを考えると、この百年の間に、日本の集合意識は一つの段階もまだ完全に上がっていないことになる。

集合規模で発達が進むというのはそれぐらいに時間を要することなのである。

二番目に気をつけなければならないのは、高次な発達段階にも必ず段階固有の限界が内包されており、さらには、高次な段階の特性は未知な点が多すぎるということである。

まず、段階固有の限界については、発達という現象は基本的にある段階の限界を乗り越えようとする運動によって引き起こされるものであり、次の段階に到達するというのは、新たな限界を持つ次の段階に移行したにすぎないことを忘れてはならない。

つまり、新たな発達段階に到達することは、既存の課題を解決することにはつながるが、また新たな課題と向き合うことを意味しているのである。しかも、次の段階で待つ課題というのは今までの課題よりも複雑高度なものである。

次に、高次な段階の特性がまだ未知な点が多いということにも注意しなければならない。これはよく発達研究者の中でも議論に上るが、発達段階が高度になればなるほど研究対象のサンプル数が減少し、その段階特性に関する議論が推論的なものに陥りがちとなる。

個人にせよ、組織にせよ、ティールの発達段階に到達している例は非常に少ない。端的に述べると、研究の領域においても、高次な発達段階を持つ個人や組織が企業社会の中で具体的にどのようにその特性を発揮するかについてはまだ未知な点が多すぎるのである。

その中でも特に注意を要するのは、上記の話ともつながり、段階固有の限界に関するものであり、同時にその段階が抱える根源的な病理に関するものである。『ティール組織』という書籍のタイトルにあるように、本書は基本的にティールの発達段階までの記述に留めるという、実に誠実な態度を取っている。

実際には、ティールの段階に続いて、ターコイズ、インディゴ、ヴァイオレット、ウルトラヴァイオレット、クリアライトの発達段階が待っている。段階が上昇することに応じて成し得ることは拡大していくが、その段階が直面する課題はさらに複雑高度なものになり、その段階がこの社会の中で具体的にどのように発現されるかは、高度な段階になればなるほど未知である。

高度な段階が持つ限界と固有の病理について盲目的になることは危険であり、単純に高度な段階を賛美するようなことは避けなければならない。

三つ目に注意を要するのは、発達測定に関するものである。個人の発達段階を測定する手法については随分と研究が進んでおり、その実用化も進んでいるが、組織の発達段階を測定することは極めて難しい。

組織の発達段階は、組織内の人間の数人の発達段階を測定し、それを単純に合算平均するような形で算出されるものではない。すなわち、組織の発達段階というのは、単純に個人の発達段階の総和ではなく、単純な総和平均でもないのである。

組織の発達段階は、部分の単純総和を超えた一つの全体として現れるものである。このような特徴を持つ組織の発達段階を測定することには、研究者も頭を悩ませ続けている。

『ティール組織』の読者として注意をしなければならないのは、そこで活用されているドン・ベックが提唱したスパイラルダイナミクスの測定手法の信頼性と妥当性が極めて低いという点である。

これは私が以前在籍していたマサチューセッツ州のレクティカという組織の研究員が明らかにしたものだが、ベックのスパイラルダイナミクスは、キーガンの主体客体インタビュー、カート・フィッシャーのダイナミックスキル理論、スザンヌ・クック=グロイターのリーダーシップ成熟度モデル、マイケル・コモンズの複雑性階層モデルに比べて、その信頼性と妥当性は極めて低い。

そして、他の研究者たちが自分たちの測定手法の信頼性と妥当性を向上させることに努めたこととは対照的に、ベックは発達研究者ではないということから、未だにその測定手法の信頼性と妥当性を向上させるような試みに従事していないという点にも注意を要する。

四つ目の点としては、成人発達理論を学び始めた人に陥りがちなのが、段階とタイプを混同することである。おそらく、『ティール組織』を読んだ多くの人が真っ先に行ったのは、身近にいる他者や自らの所属組織、もしくは周りの会社がどの段階にいるかの分析ではないだろうか。

その時に、多くの人が段階とタイプは本質的に別個のものであることを理解していないということが問題になる。つまり、発達段階というのは性格類型のようなものではなく、表面的な振る舞いや言動から、ある個人や組織の発達段階を特定することはできないということである。

発達段階の測定方法についてはここで詳しく説明をしないが、その要諦は、発話内容や表面的な振る舞いに注目するのではなく、発話構造と行動の奥に潜む行動論理の特定である。

頻繁に見られがちなのは、そうした要諦を無視し、各発達段階の特徴を単に人や組織に当てはめるというだけの行為である。それは発達段階の測定でも何でもなく、単なるタイプ分けに過ぎない。

五つ目の注意点は、発達が持つ領域全般性と領域固有性という特徴についてである。個人にせよ、組織にせよ、多様な発達領域を持っており、一つの測定手法で明らかにすることができるのは、そうした無数にある領域のうちのごく一部であることを忘れてはならない。

この点において、スパイラルダイナミクスモデルを活用して、ある組織を一様に一つの段階特性で語ることには大きな問題がある。例えば、ある組織は対顧客においては、実に合理的な行動論理、つまりオレンジの段階特性を発揮するが、組織内の意思決定においては実にアンバー的な行動論理に基づいている場合などもあるだろう。

その他にも無数の領域が考えられるが、結局のところ、スパイラルダイナミクスモデルを活用して一様に人や組織の発達段階を語ることは非常に安直であるということだ。

日本の企業社会でこれから成人発達理論の枠組みが用いられる時に気をつけなければならないことは、上記以外にも多々ある。また、上記の一つ一つについては本来もっと丁寧に掘り下げて説明しなければならない。

ただし、編集者の方からメールを受けて、日本の企業社会が今、成人発達理論の言語体系を学ぶ初期段階にあり、学習の初期段階というのは極めて重要な時期であるから、走り書きでもいいのでいくつか注意点を列挙してみた次第である。フローニンゲン:2018/2/20(火)07:58 

No.786: Situated Cognition and Cognitive Loads

Probably, situated cognition and cognitive loads are closely linked.

Our cognition is situated in the environment at that moment, and it would be restricted by cognitive loads that are influenced by environmental affordances. Groningen, 17:38, Wednesday, 2/21/2018

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