二月も終わりに近づいてきた日曜日の朝。今朝はいつもよりゆっくりと起床し、七時から一日の活動を開始した。
これまではこの時間でも外は闇に包まれていたのだが、七時を迎える頃には辺りがうっすらと明るくなり始めていた。一昨日、インターン先のオフィスから自宅に戻っている最中、日没の時間が随分と伸びていることに気づいた。
オフィスから自宅までの道のりは、河川沿いのサイクリングロードであり、帰りは太陽が沈む光景をずっと眺めることができた。冬の夕暮れ時の空がもたらすあのなんとも言えない感覚をどう表現したらいいだろうか。
欧州での生活を始めるまで、季節の移り変わりがこれほどまでに豊かな意味を持っているものだと気づくことはなかった。より正確には、日々自分を取り巻く外側の世界の小さな移り変わりに目が行くことはあまりなかったように思う。
欧州での生活は、私の時間感覚のみならず、自然を含めた外部環境との接し方をも変化させたようなのだ。より大きな観点で言えば、変化する全ての現象を捉える内側の感覚器官に変容があったと言えるかもしれない。
それほどまでに欧州での日々は、私の内側の感覚を変容させていった。今日は晴れ後曇りとの予報が出ている。
早朝のこの瞬間には、薄い雲がうっすらと空全体を覆っている。風はほとんどなく、通りに植えられた街路樹の枝が時折小さく揺れるぐらいである。
今週の最低気温は依然として軒並みマイナスを示しているが、それでも着実に春に近づいていることを実感している。日の出から日没までの時間が延びたことがそれを示している。
昨年の経験上、この寒さは五月末まで続くだろうが、長かった冬が少しずつ終わりに近づき、花の咲き誇る新たな季節に向かっていることは確かだ。
今日は午前中に、アーネスト・ベッカーの“The denial of death (1973)”の残りの章を全て読み終えたい。本書からの学びは多く、今後も折を見て再読をするだろう。
ベッカーの書籍を読み終えたら、研究で用いる時系列データ分析の方法に関する書籍とネットワーク科学に関する書籍に目を通す。これらは一度過去に全体を一読していたものであり、今日もまた全体を一読したい。
現在インターンで進めている研究は、時系列データの分析を進めるための豊富なデータがある。先日のインターンの際にも、どのような時系列データ分析を行うかを考えていた。
分析手法には様々なものがあり、研究の目的に応じて分析手法を選択することができる。今回の研究では、時系列データに潜む構造的パターンを明らかにしていくことに焦点を当てているが、今後は時系列データを基にした予測を行ってみたい。
当然ながら、複雑な現象の完全なる予測は不可能なのだが、時系列データに潜む構造的パターンが将来にわたってどのように変化していくかの予測ならば随分と多くのことができる。時系列データを基にした予測は、私が従事している研究や実務で言えば、あるトレーニングプログラムがもたらす効果の動きを予測することが可能になるだろう。
また、個人や組織の成長パターンを中長期的な時間軸で予測していくこともある程度可能であると考えている。時系列データの分析に関しては、自らの研究と実務で活用することを通じて、今後さらに力を入れて探究を進めていこうと思う。フローニンゲン:2018/2/18(日)07:36
No.774: Our Development and Self-Deception
I think that we have to expand ourselves when we develop, but how can we avoid self-deception and distorted self-aggrandizement in the process of development?
It is a serious practical issue. Perhaps, the need for self-expansion is the lubricant for development, but it may also cause a distortion of reality.
I suppose that our development and self-deception are twins. Groningen, 20:24, Sunday, 2/18/2018