天気予報の通り、早朝からの雨は昼食前に止んだ。まだ雨雲が空を覆っていることに変わりはないが、時折太陽が雨雲の隙間から顔を覗かせる。
昼食後、バルトークの『ミクロコスモス』のいくつかの曲を参考に、二曲ほど短い曲を作った。『ミクロコスモス』に収められている作品と最初から順番に向き合っているのだが、どの作品も教育的な配慮が十分になされている。
バルトークの教育的配慮を知りながらも、自分がそれらの作品に範を求めようとすると、バルトークが込めた意図とは異なるものが出来上がってしまう。しかし、それは当然のことかもしれない。
作曲に関する技術的かつ理論的な力量の差以前に、そもそもバルトークと私は異なる人間であり、異なる表現者であるからだ。バルトークの曲に範を求める際は、できるだけ彼の教育的配慮を汲み取り、それを自分の作曲に活かす姿勢を忘れることなく、同時にバルトークとは異なる意図を込めた作品を作っていくようにする。
今日は夜にもまた作曲実践を行う予定だが、その時にはバッハの曲に範を求めようと思う。
昼食後の作曲実践がひと段落したところで、昨日から読み進めていたアーネスト・ベッカーの“Escape from evil (1975)”という書籍の初読を終えた。数日前に集団の精神病理に対する関心が突如として高まった時に、本棚に本書があることを思い出していた。
振り返ってみると、集団の精神病理に対する関心は数日前に限ったことではなく、この数年間のうちに定期的にその関心が突如として高まる時がある。その都度、何かしらの書籍を購入していたが、中には全く手をつけていないものがあった。
そのうちの一冊がベッカーが執筆した上記の書籍であった。本棚にはさらに、ベッカーの名著である “The denial of death (1973)”が眠っている。
本書が名著であることを知りながらも、まだ一度も最初から最後まで目を通していない。そういえば、本書との出会いは以外と古く、今から五年前にアーバインに住んでいた時のことである。
今はアルコールをほとんど口にしないのだが、その当時は、週に一度だけワインを飲む習慣があった。だが、ワインを飲む際には、ルドルフ・シュタイナーが提唱したバイオダイナミクス農法で作られたワインしか飲まないようにしていた。
偶然ながら近所にバイオダイナミクス農法で作られたワインが購入できる場所があり、そこである日試飲をしていた時、一人の中年男性とカウンターで相席となった。その日は確かノートを忘れ、持参していた発達心理学の専門書に試飲したワインについての情報を書き込んでいた。
すると、隣に座っているその中年男性から声をかけられ、そこから店が閉まるまで話をしていたことがある。その時に、その方に勧めてもらったのが、ベッカーの“The denial of death (1973)”であった。
この書籍を教えてもらった翌日に、本書を調べてみた。しかし、その時に購入する決断をすることはなく、しばらくの時間が経った。三年前に日本に一時帰国していた時に、集団の精神病理に対する関心が高まり、ふとベッカーの書籍を思い出し、その時に本書を購入した。
人との出会い、そして書物との出会いというのは本当に不思議だ。今手元にあるベッカーの書籍にはそのような思い出が梱包されている。
来週中に本書を最初から最後まで目を通したいと思う。フローニンゲン:2018/2/11(日)15:23
No.749: Voice from the Innermost Place of Being
I can sometimes hear a voice from the innermost place of my being.
Such a voice is exactly our inner voice of truth, and it wells up from the essence of our being. Groningen, 10:37, Tuesday, 2/13/2018