今朝方起床した時に、今日は土曜日ではなくまだ平日のような気がしていた。平日でも休日でも基本的に私のやることや生活リズムはほとんど変わらないのだが、今朝は仕事をする必要性に対する意識が強く働いていた。
ただし、それはプレッシャーのような強いものではなく、自分の中で仕事に対する意識がいつも以上に顕在化していたということである。
現在は他者の成長支援に直接関わる仕事にも従事しているため、支援者側の心身の状態がいかに充実したものであるかは重要になるだろう。その辺りを肝に銘じながら日々の生活を送っていく。
昨夜は就寝前に、個と他者との関係性、そして個と普遍性との関係性について考えていた。ベッドの上で仰向けになっていると、それらのテーマについての考えが自然と浮かんできた。
一人の人間が自らの内面世界をどこまでも深く探求し、開拓をしていった先にはどのような領野が開かれるのか、そしてそこではどのような光景を目にするのか、ということに自らの関心が向かっていることがわかる。
その関心は以前から強くあったものだが、昨夜もその関心が自己の内側に強く根ざされていることがわかった。この関心は私を捉えてやまないものであり、それによって私は突き動かされるように日々を生きているように思う。
個という一点を掘り下げて探求していくことは、物理的に現在の自分の立っている地面をどこまでも深く掘っていくことに似ているのではないか。そのようなことをふと思った。
現在立脚している地面を掘り進めていけば、地球の核にぶつかるはずである。それを一人の人間の内面世界に置き換えて考えてみた時に、地球の核に該当するものがどういったものなのかを知りたいという思いが強くある。
それは究極的な点としての自己かもしれない。では、果たして究極的な自己とはいかような性質を持つものであり、それに至った時に、現実世界に対する認識はどのようなものに変容するのだろうか。
そのようなことを考えていた。そこからさらに、地球の核に該当するものは、単に一人の人間の究極的な自己かもしれないという可能性のみならず、それこそが人間存在が持つ普遍的なものなのかもしれないという考えも浮かんできた。
これは以前からの考えと同様かもしれないが、やはり究極的な自己に向かっていく道は普遍性に至る道なのだろう。アスファルトの地面を素手でひたすらに掘り続ける自分の姿がまぶたに浮かんだ。
一人の個の内面世界をどこまでも掘り下げていった時に、何が見え、何が見えないのか。そうした探求を愚直に継続させていくことは、自分の大切なライフワークである、ということを考えながら就寝に向かっていた。フローニンゲン:2018/2/3(土)07:58
No.716: The Jean Piaget Society 2018 Conference in Amsterdam
I got happy news that I was accepted for a presentation in the 48th conference of Jean Piaget Society.
This will be my second conference presentation. The topic of my presentation is dynamic processes of online adult learning.
It is based on my master’s thesis last year. I look forward to this three-day conference in the end of May.
I’m still waiting for the application result of another conference; The International Society of the Learning Sciences (ISLS) 2018. Groningen, 12:42, Sunday, 2/4/2018