私の元に一通の封筒が届けられた。差出人は父からであった。
「父から?」と私は不思議に思いながら、その封筒を開けた。すると中から四枚のテレフォンカードが出てきた。
「テレフォンカード?一体これはなんだろう?」と私はさらに疑問に思った。しかし、父は昔会社員をしながら絵を描いていた頃、その絵がテレフォンカードになったことがある。
そこには家族三人が可愛らしいハリネズミの親子になった様子が描かれており、気球に乗りながら星のきらめく夜空を親子三人で眺めているような絵だったように記憶している。そうした背景があったため、私は受け取った四枚のテレフォンカードもまた父の絵か何かだろうと思った。
スマホがこれだけ発達した現代において、テレフォンカードを使う場所はもはやほとんどないのだが、この四枚のテレフォンカードには使用価値では測れない、より尊い価値があるように思えた。
私は四枚全てのテレフォンカードに目を通してみた。すると、どれも油絵のような形で絵が描かれていた。
私がこれまで見てきた父の画風とどうも違う。四枚のうちの一枚を手に取り、それをよくよく眺めてみると、そこに「1993年夏」という文字が記されていた。
「1993年夏?」という問いに対して、まず私はその数字が意味することを社会的な出来事に関する記憶として探っていた。しかし、一向にその意味は明らかにならず、そこで私は自らの記憶を辿ってみた。
「1993年夏?あの頃は確か・・・そういえばこの絵に書かれている場所は妙に見覚えがあるなぁ」という言葉の後、すぐに私は何かを思い出したかのように言葉を新たにつぶやいた。
「1993年夏、あぁ、この絵はもしかして・・・」その絵が何を示しているのか、ようやくその一部がわかった。
何か一つの重要な記憶を取り戻した私は、その絵を見ながら目頭を熱くさせ、涙が滲んだのと同時に、その絵の中の世界にいた。
セミの鳴き声がする。数多くのセミたちが合唱を行っているかのように鳴き声を上げている。夏休みの最中だったあの日、私は通っていた小学校にいて、そこで友人たちと遊んでいた。
どのような遊びをしていたのかは定かではないが、燦然と輝く太陽のもと、友人たちと一緒になって校庭を走り回り、一旦休憩するために校舎と校舎の間にある渡り廊下の木陰で休んでいたあの時を思い出した。
そこから見た景色と先ほどのテレフォンカードに描かれた絵が完全に合致していたのである。太陽の輝き、校庭の様子、校庭を取り巻く生命力に溢れた緑など、全てがあの日のあの瞬間の光景を映し出していた。
先ほど、目頭が熱くなったのは、この懐かしさのためだろうか。そこからさらに私の記憶は物語を先に進めていた。
木陰での休憩後、私たちはまた元気一杯に校庭で遊び、気づけば夕暮れ時を迎えていた。小学校時代の夏休みの夕暮れは、大人になった今の私が夏に見る夕暮れとはもはや同じ景色ではない。
あの頃にしか見ることのできなかった心的景色があるということ。同時に、大人になった私が今見ることのできる心的景色もまたこれから変わっていくものであるがゆえに、今の私が見ることのできる景色は一人の人間の生涯において極めて貴重なのだということを改めて知る。
友達も私も思いっきり遊び、何の悔いもないような形でその日を謳歌したという感覚が共有されていた。日が暮れ始めたため、私たちは別れの言葉を交わした。
また明日も明後日も、今日と同じような日が続くと誰もが信じて疑わなかった。明日もまたみんなで今日と同じように校庭を駆け回ることができるということを疑う者は、そこには誰もいなかった。
それなのに、別れの挨拶をするときには、ちょっとばかり哀愁のようなものが漂う。太陽が沈みかける中、一人の友人が私に別れの言葉を述べた。
A君:「洋平君、今日は楽しかったね。また明日も遊ぼうね」
私:「うん楽しかったね。じゃあね」
私はその時、「また明日も遊ぼうね」という言葉を述べることができなかった。というのも、私がこの街に住むのは今日が最後であったからだ。
私はそれを忘れようとするかのように、校庭をいつも以上に駆け回っていたのではないかと思う。次の日から私は、小学生の自分には聞いたこともないような地名の県に引っ越すことになっていた。
私はそのことを友人の誰一人にも打ち明けることができなかった。
その場にいた全員が別れの言葉を交わした後、校庭には誰もいなくなった。そこにいたのは大人になった私一人だった。
私はあの時自分がいた校庭で、あの日のことを思い出していた。空にはまだ太陽がかすかに残っており、昼間とは打って変わって、そこには線香花火のような夏の夕日があった。
誰もいなくなった校庭で夕日を眺めていると、誰かが後ろから私に声をかけた。
誰か:「あれっ?もしかして・・・洋平君?」
自分の名前が聞こえた瞬間に、私は思わず振り帰った。そこには、先ほど別れたA君が大人になった姿でたたずんでいた。
私:「もしかして、A君?」
A君:「そうだよ。久しぶりだね!」
A君と私はその場で握手を交わし、あまりの懐かしさにお互いにハグを交わし、背中を叩き合った。
私:「あの時は・・・あの時は本当にごめんね」
A君:「いいんだよ。確かにあの時は、僕だけじゃなく、突然洋平君が引っ越したことをみんなショックに思っていたけど、何も言わずにこの街から去った理由を今なら何となくわかるよ」
その後、A君と私はその場でどれほどの時間を一緒に過ごしただろうか。あの時の夏の日々を振り返り、随分と思い出話をしていたように思う。
A君と私が話をしている光景が、レンズを通してズームアウトされるように引いていき、私は再び四枚のテレフォカードを眺めている自分に気づいた。
残り三枚のカードにはどのような記憶が詰まっているのだろうか。そのようなことを思った時、夢の場面が変わった。フローニンゲン:2018/2/1(木)07:11