昨日に引き続き、早朝からモーツァルトのピアノソナタのある曲を参考しながら曲を作っていた。ここ数日間バッハの曲に範を求めていた時には、バッハが曲に込めた意図とその技巧に思わず唸ってしまうことが多々あった。
バッハの曲は法則の宝庫であり、ある法則を見つけることができればそれは自分の曲に転用しやすく、過去の多くの作曲家がバッハの曲に範を求めたというのは納得ができる。一方で、モーツァルトの曲はどうも参考にしにくい。
間違いなくモーツァルトも曲の中に意図と技巧を散りばめているはずなのだが、仮にその一端が掴めたとしても、それを自分の曲に応用するのはなかなか難しいという実感を得ている。
これは多分に現在の私の作曲技術や理解力の次元によるものだと思われるが、もしかするとより根源的に相性のようなものがあるかもしれない。
あるいは、モーツァルトの曲はバッハの曲と比べて人間が自らの手で作り上げた美というよりも、モーツアルト本人が述べているように、音楽のイデアのようなものが体現された美を宿しており、それはまさにモーツァルトが持つ独自の才能の産物だと言えるかもしれない。
一方バッハは、より構成的な形で美を創出していったという印象があり、美の創出方法を学ぶ上では範を求めやすい。端的に述べれば、作曲技術を高めるに際して、バッハの曲の方が教育的だと言えるように思える。
二人の曲に範を求めてみた時の経験からすると、少なくとも私の場合はそのように言える。 この数日間バッハの曲を参考にして自らの曲を作っている時は、音楽を自発的に創出する喜びと構成的に美を生み出す喜びの二つがあった。それはもしかするとバッハも感じていたものかもしれない。
他方、モーツァルトは音楽と美をどちらも共に自発的に生み出す喜びを感じていた可能性がある。人為的ではなく、混じり気のない何か純粋なエネルギーに促される形で曲を生み出していったのがモーツァルトという作曲家の特徴なのかもしれない。 バッハにせよ、モーツアルトにせよ、他の作曲家の曲を参考に曲を作ると本当に学びが多い。当たり前のことかもしれないが、完全にリズムを模倣したとしても、調を変え、メロディーを変えれば全く別の曲が生まれる。
それは私にとって大きな驚きであり、その驚きを味わえるだけでも作曲が楽しく、また奥深く感じられる。モーツァルトの曲に範を求めてとりあえず一曲を作った後に、今度はフォーレの曲を参考にしたいと思った。
特にフォーレの舟歌には惹かれるものが多々あり、どれか一曲を参考にしようと思ったが、手元にあるフォーレの楽譜は舟歌が掲載されていない巻であり、もう一つの巻は到着を待っているところだったことに気づいた。
今のところ私は、バッハから集中的に学んだ方がいいのか、それとも今までと同様に様々な作曲家から少しずつ学びを得た方がいいのか決めかねている。バッハから汲み取れるだけのものをまず汲み取った方がいいように思えるし、私の性格上、多様な作曲家の曲を行き来しながら作曲実践を継続させていく方がいいようにも思える。
この辺りのさじ加減は非常に難しい。フローニンゲン:2018/1/21(日)13:09 No.671: Music Composition as Creative Problem-Solving
If we regard arts just as a product of unconscious processes, we would miss the objective aspects of arts.
These aspects can be and should be investigated in a scientific way.
In my near future, I’ll conduct scientific research on music composition as creative problem-solving. Groningen, 20:44, Saturday, 1/20/2018