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2035. 魂の欲求


闇の向こう側にある空が少しずつ明るくなり始めている。しかし、空には雲がかかっているためか、外側の世界が明るくなるにはまだ時間がかかりそうである。

空に浮かぶ雲が黒く鬱蒼としたものに映る。だが、今日は晴れの予報が出ていることは、私の心を少しばかり和ませる。

太陽が昇り、気温がもう少し暖かくなったら、今日は昼食前にランニングに出かけようと思う。

取り立てて何かを書き留めておこうという強い意思はなかったのだが、気づけば文章を書き始めている自分がいた。それは私が持つ何らかの欲求というよりも、魂の欲求だと言えるかもしれない。

日々の生活の中で四六時中日記を綴っていなければ、私の魂が黙っていないのである。私たちの魂はひょっとすると、表現されることを望むという性質があるのかもしれない。

つまり、魂とは内在的なものであるに間違いはないが、それが内在的なものであるがゆえに、この世界に発露しようとする願いを持っているかのようなのだ。私の魂は、とりわけ文章を書くことによって、あるいは曲を作ることによって、この世界に姿を現そうとする。

もしかすると、自分が日々日記を書き、作曲を行っているのは、魂からの求めに応じ、魂をこの世に具現化させるためなのではないかとすら思う。そう考えてみると、私は自らの魂の媒介者なのだろう。 今日は日曜日ということもあってか、八時前に通りを行き交う人は少ない。一向に闇に包まれたままの寒さの厳しい世界の中を、誰が休日に歩きたいと思うだろうか。

そうした人はいるにしても希少であり、彼らとて何かしらの理由があるからこの時間帯に外に出ざるをえないのだろう。街灯が白みを帯びた黄色い光を発している。

姿は一向に見えないが、カラスのような図太い鳴き声がどこからともなく聞こえて来る。 先日の早朝、フローニンゲンの街に雪が降っていた時の光景をふと思い出した。窓の外を見ると、通りにはうっすらと雪が積もっていた。

そこで私は、雪解け後に待っている世界について思いを馳せていた。生命力に溢れた甘美な世界が待っているに違いないと私は思った。

まだまだ寒い日が続いているが、雪解け後の世界をふと想像する自分がいる。そうした想像が生まれた瞬間、雪解け後の世界はすでに今この瞬間に顕現していると言えないだろうか。

私たちが持つ想像力というのは、本当に尊いもののように思える。そのおかげで私は、どのような環境にあっても自らの生命を発露させながら生きることができているように思うのだ。フローニンゲン:2018/1/21(日)08:00

No.670: Rhythmic Sense

In addition to a sense of melodies, I need to cultivate my rhythmic sense.

Referring to past music scores in order to grasp how great composers embody their rhythmic sense in their works would be educational to me.

Probably, I can also learn harmonies from their music scores, my present focuses are melodies and rhythms. Groningen, 08:46, Saturday, 1/20/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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