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1988. フーガの実験


今日はどのように一日を過ごそうかと考える。一日の活動の骨子は普段と全く変わらず、書を読むこと、文章を書くこと、曲を作ることなのだが、その具体的な内容をどうするかをいつも毎朝考える。

作曲に関して、昨日はフーガの技法について少しばかり学習していた。学習といっても、先日に注文したフーガのテキストが届いていないため、バッハの楽譜を眺めながら、フーガの法則を掴もうとしただけである。

バッハの楽譜を眺めてみると、当然ながらフーガには法則性があり、その法則性を正しく理解した上でそれを用いなければならないと思った。今はまだ手元にフーガの専門書がないため、これは憶測に過ぎないが、バッハの楽譜から読み取れたのは、主旋律が走り始めてしばらくすると、同様の旋律が音程が上がった状態で走り始めることがわかった。

私が参照していた曲の場合、バッハは主旋律よりも5度ほど上に上げて次の旋律を走らせ始めていることがわかった。5度上げることが決まりなのかわからなかったため、試しに別の度数を適用してみた。

その実験の際に、おそらく5度上げているのは和音の特性によるものだと思い、であれば3度上に上げても良いのではないかと仮説を立ててみた。その仮説を検証する実験をしてみたところ、3度では主旋律と近すぎるのか、時に旋律同士が交差してしまったり、音が綺麗に響かない箇所が多々あった。

3度上でもうまく第二の旋律を走らせることができるのかもしれず、一回の実験では結論付けることはできないだろうが、基本は5度上の法則性があるのかもしれない。 次に浮上した疑問は、複数の旋律をずらしながら走らせていくと、最後には他の声部に空白が生まれ、その空白をどのように埋めればいいのか、ということだった。バッハの楽譜を眺めると、どうやらそこには新たな旋律を適用しているようだったが、ここにも何か法則はあるのだろうか。

参照していたバッハの曲は四声のものだったが、最初からそれほど多くの声部を持つ曲を作ることはできず、実験として二声の曲を作ってみた。フーガの技法を始めて適用する私にとって、わずか二声の曲でも難しかった。

フーガについて解説したテキストはなく、バッハの楽譜のみなから手探りでフーガの技法を学ぶことは難しいのかもしれないと思ったが、今後はテキストと実際の楽譜の双方を参照する姿勢を持ちたいと思う。

テキストからは法則性という理論を学び、実際の楽譜からは生きた具体例を学んでいく。それらのどちらかではなく、それらの両方から学びを深めていくことが大切である。

そして何より、昨日の実験のように、実際の曲を作ってみることが何よりの学びとなる。とにかく試行錯誤をしながら、仮説構築と実験を繰り返す形で曲を毎日作り続けていくことが大切だ。 今日もバッハの楽譜を参考に実験的にフーガを適用した曲を作り、もう一曲はショパンのいずれかの楽譜を参考にしながら曲を作ろうと思う。とにかく毎日断片的でもいいので曲を作るという実践に触れていることが重要になる。フローニンゲン:2018/1/9(火)06:10

No.623: True Novel

I think diaries that I keep everyday can be a lifelong novel someday.

Everyday is a part of the novel.

This novel is neither fiction nor non-fiction.

Instead, it is as it is.

A true novel must be beyond fiction and non-fiction because our life is always transcending our imagination and socially constructed facts. Groningen, 18:58, Tuesday, 1/9/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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