自己を知ることは、自己を含んで超えることであり、現象を知ることは、その現象を自己の内に含んで超えることである。そのようなことを思う。
今日の山口県は晴天であり、この一年間、三日連続で雨を見ない日はなかったように思う。この冬晴れの空を見て、私はどのような言葉を紡ぎ出したらいいだろうか。
相変わらず、瀬戸内海が穏やかな太陽光に照らされて光り輝いている。波の音、そして波の光に自己が洗われていき、浄福感を覚える。 一昨日、税金という概念について考えていた。とりわけその意義について考えを巡らせていた自分がいる。
世間では、節税をいかにするかに神経を尖らせている人をたくさん見かけ、私自身も日本で事業を営んでいた時は節税を心がけていたことがある。母国に帰ってきてはたと気づかされたのは、いかに自分のこれまでの人生が他者に支えられ、とりわけ各種税金による恩恵を受けてきたか、ということだった。
この社会は、一人一人の尊き労働と税によって相互互恵的に運営がなされている、ということに改めて気付かされたのである。ちょうど一昨日、母と年金について話をしており、仮に自分が一千万円ほどの税金を納めれば、それだけで50人ほどの高齢者の一月の年金支給額になり、彼らの生活の支えになることを知った。
現在、燃え尽き症候群を患ってしまった、オランダでお世話になっていた美容師が、以前私に彼の税金観を語ってくれたことがある。彼の考え方も上記の私の考えと同様のものであり、税金の適正な徴収と分配によってオランダ社会はうまく回っている、というものだった。 節税のための交際費として、腹が満たされた状態でさらにもう一杯飯を腹に押し込む愚かな者はこの世にいるのだろうか。そのような人は確かにいるのだろうし、そうした人々はまだ眠り続けているのだ。いつになったら目覚めるのだろうか。 税金という概念を含んで超える必要があると思うのだ。そうすれば様々なことが見えてくるだろう。 ここまで自分が生きてきたことも、そして今このように日々を生きていられるのも、本当に、目には見えないところで働いている数多くの他者の存在のおかげなのである。
社会という織物の中で、メッシュワークを作ることに参画していくことが重要なのだ。その手段として、自分の仕事があり、納税があるのだと思う。 バルコニーから見える瀬戸内海の上空には、広大な青空が広がっている。その広大かつ透き通る青空は、どこか父方の祖父の清貧な生き方を象徴しているように私には思えた。2017/12/27(水)12:30
No.582: Research Proposal
I finalized my research proposal yesterday.
Taking into consideration my supervisor’s feedback, I revised my proposal.
I deleted some sentences and added new ones to solidify my argumentation.
I had not planned to use the cognitive load theory, but I determined to use it because it would support the quantification in my research.
I’ll read my proposal tomorrow again and submit it to my supervisor. 06:57, Wednesday, 1/3/2018