今日は午後に一つ嬉しい知らせを受けた。拙書『なぜ部下とうまくいかないのか』の増刷が決まったという連絡を担当の編集者の方から受けた。
本書は今から一年半以上も前に出版されたものだが、現在でも新たな人に手に取ってもらえているようで嬉しく思う。偶然にも、今から二年前のこの時期に、私はこの書籍の原稿を書き上げた。
クリスマスに向かうまでの一週間の中で、何かが降ってきたかのような感覚に身を委ねて、五日間で原稿を書き上げた日々の記憶がまざまざと蘇ってきた。それは創作活動における「憑依現象」と呼んでいいものだったのかもしれない。
あの五日間の中で、文章を書いている私は確かに私だったのだが、同時に、私が私ではないかのような感覚が絶えずつきまとっていた。先日、バッハの前奏曲第9番を聴いている中で自然と込み上げてくる感動と同じものを、当時の私は文章の執筆過程の中で感じていた。
『なぜ部下とうまくいかないのか』にせよ、『能力の成長』にせよ、今となっては全く読み返すことはないのだが、読み返す際には、何か当時の感動が再度喚起されるような感覚があるから不思議である。
文章を執筆するという創作活動の本質には、そうした感動の喚起のようなものが潜んでいるのかもしれない。だから私は日々文章を綴り、日々を感動の中で生きようとしているのだろう。
言うまでもなく、こうした感動を生むのは、小さな自己では決してなく、自己を取り巻く他の存在者であり、自己を超えた存在によるものだと言及しておかなければならない。私が日々行っているのは、自己の内面の記録では決してない。
そうではなく、他者や自己を超えた存在と自分との交流から生まれる感動の記録なのである。私はこれを残りの90年間、人生の最後の日までやり続ける。
それが他者と共にこの世界で生き続けることだと考えているからだ。 編集者の方からのメールの後、また別のメールが一通届いた。確認してみると、それは父からのメールだった。
父から送られてきたメールの中に、実存主義的心理学者のヴィクトール・フランクルが残した、「人は人生から問われている」という言葉に対する父の考察が記されていた。
フランクルが残したその言葉と共に、父の考察は非常に深いものであり、私の心を動かしたということをここに書き留めておきたい。私たちはよく、人生に対して問いを投げかける。
しかし、人生から問われていることが一体何かを考えたことはあるだろうか。私たちが人生に問いかけるのではなく、人生が私たちに対して問いかけていることに耳を傾けてみるのである。
その時、様々な声が聞こえてくるかもしれないが、本質的には、父の言うように、人間の尊厳に関する問いかけがなされるに違いないと私も思う。
「人が人であるゆえん、人としての存在の根源は、尊厳にある」という父の言葉は、私がこれまで日記で書き留めてきた言葉と共鳴している。父は、人としての尊厳を「人として生きることの意味」あるいは「人として守りぬかなければならないこと」だと定義していた。 欧州での生活を始めて以降、私は世俗的なものを求めなくなった。ただし、求めていることがあるとすれば、それは徹頭徹尾、人生からの問いに絶えず耳を傾け、人間として生きることの深層的な意味に立脚する形で、人間も自然も人工物も含めた他の存在者との交流から生まれる感動の中で日々を大切に生きることだけだ。
私は多くのことを望まない。ただそれだけを望みながら、明日も今日と同じように生きる。2017/12/13(水)20:05 No.544: The End of the Classes
Finally, every class this year was over.
I’ll go back to Japan tomorrow morning. Before leaving, I’ll complete the assignment for the systematic review course.
Since I had a class of the course today, my memory is still clear about the topic that requires for the assignment.
Because I already have some ideas about each question in the assignment, it will take just one hour to complete it.
After finishing it, I’ll do a final check about my baggage. 17:03, Tuesday, 12/19/2017