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1836. 日記的作曲の実現に向けて


天気予報によると、今日も雨のようだ。最低気温は0度であり、明日から数日間、最低気温がマイナスとなる。フローニンゲンの天気の特徴として、予報で雨だと表示されていても、一日中雨が降ることは稀である。

そうではなく、断続的に雨が降ることが多い。時折晴れ間が顔を覗かせ、少しばかりほっとすると、また雨雲が空を覆い、雨を降らせるというような天気である。

変幻自在に変化する喜怒哀楽の感情を、フローニンゲンの天気の中に見つけることができる。この地で生活をする中で、より情緒が育まれていくような感覚があるのは、もしかするとこのような天気の特性によるものかもしれない。

起床してからいくつかの日記を書き留め、コーヒーを入れに食卓に向かったとき、ふと外の景色を窓から眺めると、冬の空とは思えないような、甘美な薄青色の空が広がっていた。それはロマン派の音楽で表現され得るかのような空であり、印象派の絵画で表現され得るかのような空だった。

これほどまでになめらかな青色を見たことがないと言っても過言ではない。それは丸みを帯びた青である。

こうした空を眺めることができるのは、瞬間的なことだと思ったため、私はしばらくコーヒーを片手に空を眺めていた。それは、束の間の休息をもたらす甘美な冬の空だった。 そこから私は、日記を書くように作曲を行うという理想に向けて考えを巡らせていた。今見た、青い空を瞬時に曲として表現できなければ意味がない。

通りを走るバスが水しぶきを上げて通っているその姿を曲として表現できなければ意味がない。小鳥が大空を舞っている姿を曲として表現できなければ意味がない。

そして、それらの象徴が私の内側にもたらす無限の思考、感情、感覚を曲として表現できなければ全く意味がない。

私が作曲をする最大の意味は、日々のその瞬間瞬間に自分の内側の世界に姿を表す存在者の生命を曲の形としてこの世界に残していくことだ。言ってみれば作曲は、全ての事物と私の内側の世界との交流の全過程を映し出すものでなければならない。

ただそれの実現に向けて曲を作る。その他の意味など特にない。

この世界で他の存在者と交流をしながら生きていたということだけを曲として記録していくのである。だからこそ、その瞬間瞬間に五感で感じられる全てを音楽言語に変換し、曲として表現できなければならないのだ。

画家が外的風景や内的風景を絵として描写するように、それらの風景を曲として描写していくのである。青色と薄青色の違いが曲として表現できなければ全く意味がなく、秋のリンゴと冬のリンゴの味の違いが曲として表現できなければ全く意味ない。

「堅牢」と「強固」という語彙の間に存在する語感の違いを曲として表現できなければ全く意味がない。この世界で自分の内側に生起する全ての差異を曲として表現していく。

それらの差異こそが、存在者の固有の生命だ。音楽言語を用いてそのようなことを実現させていくことの道のりは、途方もなく長く険しいだろう。それでもその道を進んでいこうと思う。 書斎の窓際に体を寄りかけて考えていたのは、「このような外的・内的現象はこのように表現する」という無数のパターンを自分の内側で構築していくことが大切だということだった。

外的・内的現象を断片的に音楽言語として表現することができたら、それらの現象にまつわる物語を一曲全体という形にしていく必要がある。この時にも、「こうなったらこうする」「このように音符を配置したらこうする」というパターンを少なくとも千個、あるいは一万個ほどまずは自分の内側に確固とした形で構築していくことが必要になるだろう。

それらの無数のパターンは、明示的に言葉で説明できなければ全く意味をなさない。感覚は常に言葉に先行しており、言葉を磨くことによって感覚を磨いていく。

一つのパターンを言葉で説明できたら、それはすでに自分の内側の感覚の中にはそれ以上のパターンがあるということの証だ。無数のパターンを感覚として捉え、感覚的に活用できるようになるためには、言葉の及ぶ限界ギリギリの境界線まで徹底的に言葉としてパターンを認識していかなければならない。

無数のパターン認識とその言語化の実践を、これからより一層激しく自らに課していきたい。そうすれば、先ほど見た甘美な青空を含め、この世界に千変万化する森羅万象と自分の内的世界の交流を変幻自在に曲として表現できる日が、いつか必ずやってくるように思うのだ。2017/11/28(火)09:21

No.481: Reading: John Dewey’s Educational Philosophy

Like I was doing yesterday, I am continuing to read the collected works of John Dewey.

The chapter five is about Dewey’s philosophy of education that is my central interest to read.

After I read “My Pedagogic Creed (1897),” I realized that I would have to read this chapter again and again.

I will continue to read the rest of the chapter about his philosophy of education. 08:45, Wednesday, 12/6/2017

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