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1798. 充実感と幸福感を取り囲む人との縁


午前中の青空とは打って変わり、午後一番に小雨が降り始めた。遠くの空に太陽の姿が見えており、上空に少しばかりの雨雲がかかっていた。

どうやらその雨雲が、この小雨をもたらしているようだった。雨の量は多くなく、それはどこか、思わず零れてしまった数滴の涙のようだった。 私はしばらくぼんやりと、わずかばかりの涙のような雨が地上に降り注ぐ姿を眺めていた。その後、天気が回復し、再び太陽が顔を覗かせた。

時刻は夕方の四時に近づいている。これから夕方の仕事に取り掛かり、それが終われば、明日からのアーネムへの一泊二日の旅行に向けて準備をしたい。準備と言ってもたかが知れており、一日分の着替えをリックサックに詰めるだけである。

持参するものは最小限にし、宿泊先のホテルで学術研究の続きを行うために、パソコンを持参する必要がある。持って行く書籍は、作曲理論に関するコンパクトな “Music composition 2(2014)”という書籍だけにし、あとは来週に行われるコースの論文を二つほど持参したい。その他に持って行くものは特にないだろう。 明日、私がアーネムの街へ訪れるのも何かの偶然だろうか。アーネムというオランダの街を知っている人はほとんどいないであろうぐらいに、この街はオランダの主要都市ではない。

もちろん、中規模の大きさを持っている街であることに変わりはないのだが、それでも知名度は高くないだろう。そうした街に私が訪れることになったのは、オランダを代表する画家の一人である、ヴァン・ゴッホの存在だった。

アーネムの中央駅から北に数キロほど上がったところに、デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園がある。その公園内に、ゴッホの作品を数多く所蔵していることで知られている世界で有数の美術館がある。

それはクレラー・ミュラー美術館と呼ばれており、国立公園の中に美術館があるというのは実に珍しいと私は思い、大きな関心を持った。明日宿泊するホテルは、国立公園の敷地のすぐ外にある。

雰囲気としても申し分なく、国立公園の外ではあるが、そこは自然に取り囲まれた独特の雰囲気を放っているように思われる。 この美術館に私が足を運ぶのは、きっと何かの縁だろう。実は先日、「応用研究手法」のコースの初回のクラスの帰りにも、何かの縁があるに違いないという出来事に遭遇した。

このコースについては、数日前の日記に書き留めた通りである。受講者は私のみであり、教育プログラムと教育的介入手法の定量評価の道を30年以上にわたって探究している、ロエル・ボスカー教授から一対一で指導を受けることになった。

クラスは教室で行われるのではなく、ボスカー教授のオフィスで行われることになった。そのクラスの帰り道、私は社会学部の建物の一角にある古書コーナーの前を通り過ぎた。

私はキャンパスを訪れる際に、いつもここに立ち寄り、何か良い古書はないかを確認する習慣がある。半分はオランダ語の書籍であり、それらは残念ながら理解することができないため、残り半分の英語の書籍を確認するようにしている。

そこで一冊、教育科学に関する600ページほどの分厚い専門書を見つけた。目次を一瞥すると、数多くの研究者が数ページほどの短い論文を寄稿しているようだった。

その後、パラパラとその書籍のページをめくっていると、書籍の真ん中あたりに差し掛かった時、偶然にもボスカー教授が投稿した論文を発見した。600ページにも及ぶ分量であるから、ページをめくりながら目を止めたのは数回ほどであり、その数回ほどの中に、偶然にもボスカー教授の投稿論文があったことは、驚くべき偶然であった。

この現象の背後には、やはり人知を超えた縁と呼ばれるものが存在しているように思えて仕方ない。今のところ、私はこうした現象をうまく説明する術を持てていない。

やはりそれは縁としか呼べないような、非常に錯綜した因果の連鎖が潜んでおり、無数の因果によってもたらされた産物が、こうした一人の人物との出会いを生み出すのだと思わされる。この世界における縁、それは実に不思議な現象である。

今から数年前、いや数ヶ月前であってもいい。私が今このように、オランダ人のボスカー教授から一対一で指導を受けている姿など全く想像できなかった。

しかし、それは実際に起こっている。人との縁というのは起こるものなのだ。

それは人為的・作為的に作られるようなものではなく、ことごとく起こるものなのだ。日々の生活は創造行為を通じた充実感と幸福感に満たされ、それを取り囲むように、人との縁が常に起こっている。

いつも、今も、この瞬間も。2017/11/17(金)16:05

No.443: A Letter-Like Piece of Music Someday, I want to exchange a piece of music as a letter with someone.

A letter-like piece of music tells our present situation or a memorable event in our daily life.

I can imagine that I am exchanging a piece of music with somebody in stead of exchanging a letter.

How wonderful it is to keep in touch with someone in such a way. 16:08, Thursday, 11/30/2017

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