昨夜、音楽に関する今後の研究についてアイデアを書き留めていたように思う。その研究テーマについては、いつか必ず研究に着手したいと思っているが、それは今すぐに行うというよりも、もう少しだけテーマを温めておこうという考えに至った。
そのように判断した背後には、少しばかり戦略的なものが混じっている。今年と来年に関しては、やはり当初の予定通り、オンライン教育、とりわけMOOCに焦点を当てた研究を行っていく。
この研究を通じて、システム科学とネットワーク科学の手法にまずは習熟していくということが、戦略的な要素の一つ目である。
今の私は、仮に大学で講義を受け持つとしたら、発達科学、とりわけ発達心理学に関する講座を開講することにはそれほど関心がなく、理想としては、発達研究や教育研究の文脈でシステム科学とネットワーク科学の理論と手法を取り上げるような講義を開講したい。
システム科学とネットワーク科学に関する知識というのは、まだまだ初学者の次元にあると思っているが、もうすでに、欧米の大学でそうした講義を担当している自分の姿が鮮明に浮かび上がる時がある。
実際に、日常の探究活動の中で、システム科学とネットワーク科学のテキストを音読している最中に、しばしば自分が欧米の大学で講義を行っているかのような想像世界の中で、一人ぶつぶつと音読や自分への説明を行っている。
自分でも時に何をしているのか不思議に思うことがあるが、ある大学で講義を受け持っている自分がすでに今の自分の内側にいるのだ。これまで欧米大陸の学術機関に所属し、その中で様々な研究者とやり取りをしてきたが、まだ誰も、教育科学、発達科学、システム科学、ネットワーク科学の四つの領域を真の意味で横断的に研究している者はいないように思える。
この四つの領域を学際的に探究し、それらを架橋させるような試みに強く情念を動かされている自分の姿を見るにつけ、研究者としての自分の使命の一つは、おそらくそれなのだと思う。
「教育」「発達」「システム」「ネットワーク」という四つの言葉は、自分にとって「魂」という言葉に匹敵するような重みを持つ。今日も夜に、少しだけシステム科学とネットワーク科学のテキストに目を通そうと思う。 昨夜就寝前に作曲実践を行い、その手を止めて就寝の準備を始めようとした時、バッハの楽譜が気になったので、それに少しばかり目を通していた。目次に目を通した時に、「平均律クラヴィーア曲集」が目に飛び込んできた。
これは、24個の全ての調を一つ一つ用いた、前奏曲とフーガで構成されている。その事実を知った時、合計で48個のバッハの楽曲の一つ一つを順番に辿る形で作曲を行っていけば、全ての調の特徴を掴みながら作曲技術を高めることができるのではないか、と思った。
調べてみると、バッハの平均律クラヴィーア曲集は、現代においても、ピアノ演奏の技術を高める際に重宝されているとのことである。バッハのこの曲集は「旧約聖書」に喩えられ、ベートーヴェンのピアノソナタ全集は「新約聖書」に喩えられているというのも、どこかうなずけるものがある。
一つの前奏曲に範を求めたら、一つのフーガに移り、また別の前奏曲に移っていく、というサイクルで作曲実践を行っていこうという新しい方向性を見出した。48個の曲に範を求めた後、自分の作曲技術はどのような状態になっているのだろうか、そして、音楽の中に新しい何を見出すことができているのか、という期待感のようなものが芽生える。
とりあえずは、数日前から着手し始めた、エドヴァルド・グリーグのある曲を参考にした後は、バッハの平均律クラヴィーア曲集をゆっくりと辿っていくことにしたい。2017/10/26(木)18:40
No.341: Journals and Journal-Like Music Equivalent to My Life During lunch, I was thinking about whether my journals and journal-like music works could represent my entire life.
My life does not create journals and music works, but instead, it equals them. In other words, my life is my journals and music works; and vice versa.
Thus, creating my journals and music works is nothing but leading my authentic life. This was a simple finding. 13:15, Tuesday, 10/31/2017