遠くの空にかかる雲が、美しい赤紫色を帯びている。フローニンゲンの街はすっかり秋が深まり、もう冬の足音が聞こえるということは、これまでの日記の中に何度も綴っていた。
今この瞬間に結論を下すのは早計だが、今年の冬の厳しさをなんとか乗り越えられるような気がしている。ここで述べている厳しさとは、物理的な寒さのことを指しているわけではない。
それは精神的な過酷さを意味する。北欧に近いオランダのこの場所における冬が、あのように自分の精神に働きかけるとは、実際にそれを昨年に体験するまで全く想像ができなかった。日本の冬とも異なり、米国での冬とも異なる、別種の過酷さが昨年の冬にはあった。
昨年の冬を一言で形容するならば、「存在の凝縮」もしくは「存在の濃縮」という言葉がふさわしいだろう。あるいは、「存在」という言葉を、「精神」に置き換えることも可能だろう。
果たして、今年の冬はどのような冬になるだろうか。人はある状態の中にいるとき、その状態を適切に表現することができない。
言い換えると、認識主体が対象と同一化している状態においては、その対象を真に客体化することはできないのだ。昨年の冬を上記のように形容できたのも、すでにその状態を私が通過したからだろう。
これから、今の自分には全く形容できないような冬がやってくるのだろうか。それを考えると少々恐ろしい。
だが、今の自分が表現できないそのもの自体が、次の自分の姿であることだけを私は知っている。それこそが、人間の内的発達の原理だ。
今の自分には言葉にできないもの。それが次の成熟段階の自己に他ならない。
ということは、言葉にならない過酷さを今年の冬がもたらすのであれば、その冬は、次に待つ自分の姿に他ならない。自分は冬であり、冬は自分であったのだ。そのようなことを、夕暮れの雲を眺めながら思う。 昨日に引き続き、来年の研究テーマについて思いを巡らせていた。突如として、いっその事、自分の研究テーマを大きく変えようか、ということを数日前に閃いた。
もちろん、人間発達と学習ということは根幹にあり続けており、特に成人の発達と学習に着目した研究をするというのは同じである。また、活用する科学領域についても、教育科学、発達科学、システム科学、ネットワーク科学の四つであることにも変わりがない。
ただし、研究のトピックを変えていこうとかと思ったのである。これまで六年間ほど、企業人を絶えず意識した研究や実践を行っていた。現在も、いくつかの日本企業との共同研究と実務に関与しているため、そうした研究と実務は今後も引き続き行っていくと思う。
ただし、学術機関において研究するテーマは、もっと自分自身に密着したものでもいいのではないかと思い始めている。その小さな現れは、昨年のように、成人のオンライン学習について研究するというものだった。
数年前から私自身がオンライン学習を成人に提供しているという経験をもとに、昨年の研究を進めていた。今年の研究においては、特にMOOCに焦点を当てていこうと思っている。
MOOCに関しても、これまで再三述べているため、簡潔に述べると、MOOCの統計学のコースのおかげもあって、今私はフローニンゲン大学で研究を続けることができている。フローニンゲン大学が要求する統計学の事前知識が非常に厳しいものであることは、以前に述べた通りである。
また、それと同じぐらいに、自分の人生に大きな影響を与えたのは、シンガポール国立大学が提供する作曲に関するMOOCであった。このコースのおかげで、私は作曲実践に乗り出し、作曲を通じて、日々の生活がより充実したものになった。
こうした個人的な強い体験が根幹にあり、今年はMOOCに関する研究を行っていく予定である。さらには、来年に所属予定の米国の大学においても、MOOCの研究を主に行っていくを計画していた。
しかし、ここ数日、また別のトピックについて研究を行いたいという思いがふつふつと湧き上がってきている。それは端的には、成人の音楽教育である。
特に、成人になってからピアノを習おうとする人、あるいは長いブランクを経た成人が、いかにピアノ演奏の技術を高めていくのかに強い関心がある。同時に、成人が作曲技術をいかに高めていくのか、というトピックも合わせて関心がある。
特に、後者の作曲については、自分が今まさに行っていることであるため、研究を進めていく動機は極めて強い。自分の内側にあるさらに深い研究動機には、人は何歳になってもピアノ演奏や作曲を学ぶことができる、という思いであり、ピアノ演奏や作曲を通じて、音楽に秘められた美と力を多くの人にも体感してほしいという思いがある。
つまりは、成人になってから音楽を学ぶことは全く遅いことではなく、音楽を通じて日々がより充実したものになり、日々が幸福を感じられるものに変容するのだということを、多くの人にも経験してほしいという思いがある。
ピアノ演奏と作曲技術に関する研究のイメージは既にあり、現在はさらに、「美的経験の質的差異」についても研究をしたいと思っている。ピアノ演奏と作曲技術に関しては、上記で述べた四つの科学領域の理論やアプローチを存分に活用することができる。
これまでの日記に何度も書き留めているように、科学の世界だけに留まることをしたくないのだ。成人が音楽を通じて出会う美的経験の質的差異を研究するのであれば、哲学の領域の「美学」の考え方を適用することができる。
そして言うまでもなく、音楽を対象として研究をするのであるから、科学と哲学の領域を超えて、音楽の領域に関する探究に従事することができる。もしかすると、私がこれまで抱えていたものを解消してくれるカギはまさに、成人の音楽教育の研究を通じた学際的な研究にあるような気がしてならない。
自分はこの研究をしたかったのかもしれない。私はこの研究をするために、今までの経験を積んできたのかもしれない。
フローニンゲンの街に訪れつつある闇の世界が、妙に明るく輝いて見える。2017/10/25(水)18:42
No.337: Music Composition with the Scientific Mind Modeling is a beneficial apparatus to enhance my music composition skills in that it enables me to test my hypothetical ideas.
I often come up with hypothetical notions about music composition. Once I formulate those ideas into a testable model, I apply it to my practice for music composition.
After testing, I usually refine the model or create a new model based on continuously emerging my hypothetical ideas.
The process of generating hypothetical notions, formulating a model, and testing it is a virtuous cycle of learning for me.
I will continue music composition with the scientific mind. 09:51, Monday, 10/30/2017