昨日は、一日中、音楽の虜になるような日だった。早朝から正午までは、何人かの作曲家の生涯や作品について調べることだけを行っていた。
昨日は、特にショパンに大きな感銘を受け、彼の作品をこれから真剣に聴いてみようと思い立った。同時に、ショパンが創出した曲に範を求めたいという思いが湧き上がり、結局、724ページに及ぶ楽譜を購入した。
自分の研究テーマとその方法について考えてみた時に、来年私は学術研究上の理由から、再度米国に戻ろうと思っている。そこでの生活期間は長いものになるであろう、という予感については、これまで何度も書き留めていたように思う。
私の中では、その場所に行くまでに随分と長い時間を要し、それでいて、そうした長大な時間の積み重ねがなければ、私はそこに辿り着くことができなかったのだと思う。
もちろん米国においても——あるいは、世界のどこにおいても——、クラシック音楽に親しむことは可能であるが、欧州の土地で生活をしてみて痛切に感じているのは、やはりこの土地の深くに根ざされたクラシック音楽の伝統は、他の土地と比較にならないものを持っているということだ。
昨日、何気なくワルシャワのショパン博物館に足を運ぼうと思ったが、欧州の土地で音楽生活を営んだ数多くの作曲家の跡地を訪れることができるというのは、非常に贅沢なことだと思う。
昨年の夏は、ライプツィヒでバッハ、シューマン、メンデルスゾーンの博物館を訪れた。今年の春は、ウィーンでベートーヴェンとシューマンの博物館を訪れ、ザルツブルグでモーツァルトの博物館を訪れた。
また、今年の夏は、ノルウェーのベルゲンでエドヴァルド・グリーグの博物館を訪れることができた。そのようなことを思い出していると、昨年から今年にかけて、随分と多くの作曲家の博物館を訪れたのだと知る。
「体験に勝るものはない」と言われるように、実際に、そうした作曲家が活動した土地に足を運び、同じ空気を吸うことは深い体験となり、それが彼らの生涯と曲に対する理解をより豊かなものにしてくれると強く実感している。
音楽のみならず、絵画においても同様のことが言えるだろう。そうしたことを考えると、自分が関心を持つ芸術領域に関して言えば、欧州の土地以上に望ましい生活環境はない。
だがそれでも私は、来年から米国に再び戻ることになるだろう。それは私の思いというよりも、私を超えた存在からの働きかけであるように思う。
また、来年欧州を離れることになったとしても、私は心のどこかで、いつか必ず欧州の土地に戻ってくるであろうことを知っている。米国に再び戻ってから、六年後か七年後に、再度欧州の土地で生活を始めている自分の姿が思い浮かぶ。
その時には、自分は一体どのような思想を持って日々を生きているのだろうか。どのような研究テーマに打ち込んでいるのだろうか。
今の段階では皆目見当がつかない。ただ一つだけ言えることは、六年後であっても七年後であっても、音楽が私のそばから離れることはないであろう、ということだ。
欧州の土地で生活することのできた最大の幸運は、学術的な探究を深めることができたということよりも、音楽との深層的な出会いだったのではないかと思う。
欧州の土地には、私の存在を涵養してくれる何かが今もずっと眠っている。いや、それは今もずっと欧州の土地の中で息づいていると言った方がいいかもしれない。2017/10/23(月)07:45
No.327: Learning By Self-Testing I was reflecting on my learning practice after I read an article about the effective learning.
One of the gists of the article is that passive reading is ineffective to construct robust knowledge networks.
Perhaps, most of us know it in our head, but we are likely to do it when we learn something.
The article suggests self-testing as an active learning method. I suppose that it is effective if we use it by interpreting the information and connecting it with what we already know.
The method would be ineffective, for instance, when we passively use it by flashcards, etc.
Although self-testing may be laborious if we are not used to it, it is one of the indispensable learning methods to actively construct our knowledge systems. 17:28, Friday, 10/27/2017