昨夜就寝前に、夢を振り返るという行為と曲を作るという行為が、自分の精神の治癒と変容に多大な役割を果たしていることに気づいた。
夢を振り返り、それを言葉で記述していくという行為は、極めて有益なシャドーワークであると思う。今から六年前、私が米国のジョン・エフ・ケネディ大学に在籍していた頃、最も仲の良かった友人にジョナサンという男がいる。
彼は、夢と意識を専門としており、彼の勧めもあり、いつしか私は夢日記をつけるようになっていた。当時は、夢について言葉を当てるのではなく、全て絵画として表現していた。
時折、英語でコメントを付したりしていたが、できる限り絵の形で夢を記録していくことを行っていた。今は、日本語で文章を書くことを自己に許容したこともあり、見た夢について日本語で書き留めることができている。
夢を絵画として表現することにも大きな効果があったが、文章で夢を書き留めておくことも、絵画に勝るとも劣らないほどの力を持っていることを日々感じる。
基本的に私たちは、自分のシャドーと一人ではうまく向き合うことはできない。そもそも対象となるシャドーを捉えることが極めて難しいからだ。
だが、夢というのはまさにシャドーの顕現に他ならず、それと自分なりに向き合っていくことは、優れたシャドーワークのように思える。
憶えている限りの夢や書ける範囲の夢については、できるだけ書き留めるような習慣が始まってからしばらく経つ。私は時に、夢を記録した数々の日記に救われた思いになることがある。
夢の中には治癒と変容をもたらす何かが秘められている。夢の持つ治癒と変容作用が、私の日々の活動を陰で支えている。
やはりシャドーとは、ひとたび認識の光に照らされ、それが形として外側に表現された時、今度は私たちの陰で私たちを支える存在になるのだ。 作曲についても、同様の治癒と変容作用がそこにあることに気づく。昨夜、一つの曲を作っている最中に、何かが浄化されていくような感覚があった。
内側の言葉にならないものを音楽として形にしていく作業を通じて、これまで自然言語では通ることのできなかった道から何かが外に出た感覚があった。そこには治癒の根幹原理のようなものが見える。
ある内側の内的現象が、あるべき場所を通って、あるべき場所に向かっていくのである。それを経た後の自分の内側の世界は、これまでの世界とはまた少し異なるものになっていた。
それが治癒であり、治癒からの変容である。作曲の実践を始めてまだ日が浅いが、これから作曲実践を通じて、曲を創造するという行為が持つ、精神の治癒と変容作用を何度も経験することになるだろう。
そうした恩恵に与りながら、治癒と変容をもたらす作曲行為について、より考察を深めていきたいと思う。文書を書き続けることにせよ、曲を作り続けることにせよ、なぜ自分が自然とそれらの行為に向かっているのかがわかったような気がする。
それらの行為には、人を癒し、発達させていく内在的な力があるようなのだ。2017/10/14(土)07:31
No.293: Strenuous and Continuous Practice It’s Sunday today. I will spend leisurely time today.
After I finish some work, I plan to engage in music composition. I came up with various ideas to compose music yesterday.
I want to experiment the ideas in actual practice. It would be a key for me to do as many experiments as possible in order to sophisticate my composition skills.
I do not care how short my music is and how many it includes mistakes. The gist is to continue to compose music through a tremendous amount of experiments.
Strenuous and continuous practice is the essential aspect of my being. 09:11, Sunday, 10/15/2017