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1639. 時の螺旋階段


先週と同様に、今週も天気が優れない。今日も小雨が降ったり止んだりを繰り返していた。

これから夕方の仕事に取り掛かる前に、少しばかり今朝の夢を振り返っていた。今朝の夢は、時間を逆行し、振り出しに戻るような感覚を引き起こすものだった。

欧州での生活を始めて以降、時々、時間の淵に挟まるような体験をする。時間単位を微粒子の次元まで小さくし、一つの時間と次の時間の隙間に入り込む感覚と言ったらわかりやすいだろう。

そこでは時間など流れていない。時間の微粒子の中にいるのではなく、その外側にいて、一つ一つの時間単位の狭間にいるのであるから、時間が流れていないように感じるのは当然なのかもしれない。

時間が流れていない感覚だけではなく、今日の夢は、体験上時間を逆行させることが可能であることを十分に示唆するものだった。夢の中に現れた奇妙な螺旋階段。

それが目に入った時、私は上に上がろうとする意識が無意識的に生じた。それはおそらく、螺旋階段という物体は、真っ先に「上るもの」という情報を私にアフォーダンスしてきたからだろう。

だが、そのアフォーダンスに従順に従うのではなく、私は一瞬立ち止まって考えていた。「この螺旋階段は何なのだろうか?それは何のためにここにあるのだろうか?」というシンプルな問いが自発的に湧き上がり、それを無視することなく、私はその問いと少々向き合っていた。

すると、その螺旋階段には上るための階段のみならず、降りていくための階段が備わっていることに気づいたのである。螺旋階段を降りていくプロセスは、時間の流れを逆に進むためのものだったのかもしれない。

今、時間の流れを逆に「進む」と述べたが、この表現もどこか奇妙だ。螺旋階段を降りている最中に、進んでいる感覚などなかった。

確かに、私の身体も心も動き続けていたことは確かだが、何かに向かって進んでいるという感覚はなかった。人間は、時間の中を進むことなどできない。

その代わりに、時間の中で動くことはできる。そのようなことをふと思う。

そのようなことを考えていると、時間とはもはや、進むものでも、戻るものでもなく、人間存在と同様にそこにあるもの、なのではないかと思う。ただあるだけなのだ。

時間そのものは初めから一切動いていなかったのだ。さらには、自己の存在の基底も時間と同様に、一切動くものではない。

単に私たちの身体や心が運動を続けているだけなのだ。そうしたことが、時間や自己の基底も動いているものだと錯覚させる。

また、螺旋階段を降りてみた時に、再び先ほどと同じ光景が広がっていたことも興味深い。自分の身体が再び同じ場所にあり、時間が後戻りしたように最初は思えた。

だが、逆行したのは時間ではなく、私の身体と心だった。時間の粒子の間にいる感覚とは、流れることのない時間の中にいる感覚であり、自己の基底に触れている感覚だと言い換えることができるかもしれない。 書斎の窓から見える木々が、少しばかり強い風になびいている。今は雨が止んでいるが、空は薄暗い。

欧州での生活が一日一日経過していくごとに、全く経過しない不動物に触れる体験の回数が増えて行く。この現象世界を生きていくための諸々の感覚が変容を遂げていく。

感覚の変容に応じて、この現象世界は、これまで私が全く見えなかった、あるいは、感じられなかった現象を開示する。それぐらいに、この現象世界は深遠なものを内包している。2017/10/11(水)16:05

No.284: Explaining through Writing or Vice Versa Finally, I finished my work today. I spent most of my time in tackling an assignment by using R.

I will start to write my paper for a school improvement plan. I hope to finish writing it the day after tomorrow.

Once I complete the draft of the paper, I can focus on the coming exams. Two of three courses in the first half of this semester require an examination.

From my experience, just reading the course material does not cultivate my understanding deeply. I will write down concepts and theories that I learned in the courses, and writing in this process should be done as if I explained to somebody or myself.

Explaining through writing or vice versa is a powerful learning method. 20:46, Thursday, 10/12/2017

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